2012年9月24日月曜日

オープンハウスロンドンウィークエンド【ロンドン】

本日は、オープンシティ研究のメインディッシュ、オープンハウス・ロンドン・ウィークエンドです。
 
1992年に創設者のVictoria Thornton女史によって始められた、
2日間の、市内中一斉施設無料公開イベントです。今年で20年を迎えます。
 
無料である。
非営利である。
都市環境(空間)の質(デザイン)を示すものである。
 
という3原則を基に、都市内の複数建築・施設を一斉公開し、
市民が無料で見学可能な建築都市公開プログラムが開催されるものです。
 
今年は、9月22~23日の土日に開催されました。
750に及ぶ施設公開及びイベント(ツアーなど)が行われています。
公開される施設も、公共施設から個人の住宅まで、歴史的建造物から現代建築まで、
デザインクオリティーの高い、非常に幅広い建築物が開かれているのが特徴です。
 
まちを歩けば、至る所で、オープンハウスを開催している幕がかかっている施設に出くわします。

 
ということで、まずは、公開されている建物を訪れてみます。
 
学生時代、雑誌や資料集成を見ながら憧れた、建築家ノーマンフォスター卿の
オフィスが公開されていたので、オフィスを訪れてみました。
1990年に、テムズ川南岸の敷地に建てられ、目一杯、テムズ川の風景を採りこむ
ガラスの開口部が設けられたオフィスでは、スタッフが8人くらいで説明や見学の
サポートをしています(事務所では1100人、45ヶ国からのスタッフが働いているそうです)。
 
 
オフィスの前には、しっかり、オープンハウスの幕がかかっています。
 

 
残念ながら、室内の撮影は叶わなかったので、その様子は、
解説を聞いているあいだの殴り書きラフスケッチでお許しください。
 
 
オープンハウスを巡るには、オープンハウスの公開施設リストとなっている
ハンドブックを、数ポンドで手に入れる、もしくは、iPadなどのアプリで地図と施設の
紹介を見ながら回るなどの方法がとられます。


オープンハウス開催中は、町中に人々が溢れます。道端、地下鉄、いたるところで
このハンドブックを片手に、見るべき施設を選んでいる様子が見られます。
 
 
 
予約が必要な施設、並んでみられる施設など、様々ですが、
人気のある施設の前には、長蛇の列が出来上がります。
人気観光施設でもある「モニュメント」に並ぶ列、
 
 
リチャードロジャース設計のテクニカルなオフィスビル「ロイズオブロンドン」に並ぶ列、 
 
 
日曜日は冷たい雨が身体を冷やす日でしたが、
個人の邸宅公開にも、雨の中、大勢の人が並んで待っていました。
 
 
施設の中に入ると、どこの施設でもとても親切に対応してくれます。
お茶やお菓子を提供してくれるところ、
ボランティアが熱心に楽しく説明してくれるところ、
オーナー自ら語ってくれるところなどなど。
 
 
 
何軒か、個人の邸宅にもお邪魔しました。
個人のおうちですので、室内公開は控えさせていただきますが、
おうちのなかを惜しまず拝見させていただける、貴重な機会でした。
日常の使い手でもある娘さんも、お手伝いしながら大満足。
 
  
そして、個人的な目玉だったのが、60-70年代の社会住宅として名の高い、
「アレクサンドラロードの集合住宅」。
日本の雑誌や資料集成でもよく紹介されている集合住宅もオープンハウスに参加していました。
見た目は、ハードなデザインで、社会住宅でもあるので、
廃れていると思いきや、適度なスケール・密度感で、土曜の昼下がりに、
中央の道で遊ぶ子供や、バルコニーでビールを飲む方々が多くみられました。
 
 
 
 
そして、これまた、集合住宅のうちの1戸のご家庭がオープンハウスに参加しており、
このお部屋をのぞかせて頂きました。
雑誌では、都市的スケールのハードな計画だと思っていましたが、
室内はうって変わって、木の温かみのあるデザインや、スライディングドアによる日本的な空間、
狭小な室内を豊かにする、ソフトで工夫のこらされた様に感動しました。
 
***
 
なによりも、所有者も参加者もボランティアもみな熱心で、
建築物や都市空間への愛着と誇りをもって日々生活している様子、
この力が都市の魅力を生み出す源泉なのだなと改めて感じるとともに、
久々に、建築や都市に込められた情熱と工夫に触れて、
がんばらなきゃなと心を新たにするのでありました。
 

2012年9月21日金曜日

中庭の遺伝子【パリ】

「オ、シャンゼリゼ」、パリと言えば、シャンゼリゼ通りやグランブールバールのような大通りと、
オペラ座、凱旋門などの通りと通りのノードとなる広場、そして、
それを取り囲む石造の歴史的な街並みの数々が思い起こされますが、
実はパリの都市空間を豊かにしているものの一つに、「中庭」があります。
通りや広場のみならず、これらを構成するための街並みまでもが公共財として
捉えられ、かつ、隣の建物と壁を共有することが認められている中では、
建物は街区や敷地の境界線をなぞるように、沿道や外側一杯に広がって建てられます。
そんななかで、採光や外部空間を考えると、自然と内部に空地(=中庭)ができます。
  
つまり、この中庭は、その地区の街区の形状や敷地割の空間構成に応じて形作られ、
大きな街区の地区には大きな中庭が、短冊状の敷地の並ぶ地区には細長い中庭が
できてゆきます。
歴史的な都市組織(tissue urbain)を大切にするパリでも、戦後の都市開発の動きの中で、
こうした沿道-中庭の空間構成は忘れ去られ、街区の中央に超高層が建てられていました。
そんな中で、建築家たち(クリスチャンドポルザンパルクなど)は、こうした都市組織を下敷き
としながら、現代的な都市空間を創出するための実験的な試みを行ってきています。
その中の一つに、ベルシー地区(Bercy)の再開発があります。
パリの東側、セーヌ川付近は、かつては工業地帯や交通空間として使われていた下町です。
1990年代に再生されたこの地区には、かつてワイン倉庫が建ち並ぶ町はずれでもありました。
(現在ではこうした倉庫などが再生され商業施設として活かされています)。



そして、ワイン倉庫を基にした公園沿いには、適度なリズムの沿道-中庭型集合住宅が並びます。
マスターアーキテクトを中心とした6-7層程度の中庭型集合住宅ですが、上記のような
中庭がもつ潤いを大切にしながらも、新たな街並みや開放性、連続性を獲得するために、
公園側のファサードには、何カ所かの切込みを入れて、中庭を垣間見させるとともに、
それらを数層に一つ、連続的に続くバルコニーを設置して、水平的な連続感も維持するような
デザインコードが設けられ、これを基に、それぞれの街区を建築家が設計しています。


そして、さらに、セーヌ川の対岸(セーヌ左岸)にも、再開発の波は広がっています。
森の緑を移植した中庭を、4冊の本が取り囲むようなミッテラン図書館(ドミニクペロー)
が輝くこのエリアは、Paris Rive Gauche(セーヌ川左岸開発)と呼ばれ、
2000年頃から始まり、現在も進行中の開発が進んでいます。


ちなみに、この中庭は、周囲が再開発で高密度化が進んでいった場合にも、
外部空間が残されるようにという設計意図の基に設けられています。
そして、近年、その予想通りに、図書館の周辺には、住宅ーオフィスの開発が進んでいます。
セーヌ左岸では、ベルシーのような中庭型のデザインコードがあるというよりも、
高層や低層が入り乱れるコンポジション(空間構成)を有していますが、
コの字に囲む住宅の内側に公園が貫入したり、大きな公園を各街区が取り囲むなど、
開発空間と公共空間がともに貫入しあうことで相乗効果を狙っているように思われます。

また、かつての工業・物流空間の面影も所々に残されている点が、現代的な開発です。
倉庫もリノベーションされ、大学として再生されており、新学期を迎える学生でにぎわっています。

 
このように、建物や開発の様式は現代的なものとなりながらも、中庭という
半公共的な空間の遺伝子は、開発にも受け継がれているようです。

2012年9月20日木曜日

都市のコンポジション【ル・アーブル】

セーヌ河口に佇む、濃青の空にウミネコの白翼が横切る港町、ル・アーブル(Le Havre)。
16世紀初頭に開かれたこの街は、第二次大戦中、ノルマンディー上陸作戦から続く
艦砲射撃と空爆により破壊された後、戦後にモダニズムの計画都市として
奇跡の再建を遂げた都市です(その意味では、関内牧場と呼ばれた旧市街地で、
中庭型の計画的な都市再生が試みられた横浜とも類似しています)。


この復興都市計画を任されたのが、ブリュッセル生まれ、フランクリン街のアパートメント(パリ)
の設計でも有名な「鉄筋コンクリートの巨匠」、オーギュスト・ペレです。

 ル・アーブルは2005年、「オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル」として、
ユネスコ世界文化遺産に登録されています。
戦後復興都市計画は、ある一人の建築家のコンセプトを中心にモダニズムの都市空間を
実現したという意味では、チャンディーガル(コルビュジェ)やブラジリア(ニーマイヤー)など
とも類似しますが、ややスケールは大きいものの、その奥に見える斜面緑地の緑や
建築の中にも生活空間のアクティブな空気や、港町の大らかな空気など、
空気感をまとっているという意味で、活きたまちだと感じます。

被災して更地となった旧市街地では、港町から始まった歴史や、
旧市街地の被災を免れた建物や都市構造を下敷きにしながらも、
基本的には、タブラ・ラサ的に、新たなグリッドの都市空間が構築されています。


中央には市庁舎が配され、その東西に大通りが配され、
特にシャンゼリゼよりも広いとも言われるフォッシュ大通り、
市庁舎前の広場からこの大通りに直交したパリ通り、
そして、港沿いにひかれたフランソワ1世通りによって三角形が描かれます。
 
最も印象的なフォッシュ通りは、非常に広い幅員の街路には、一車線ずつしか車道はなく、
残りは(被災のためか、一部しか豊かには残ってないのですが)街路樹の並ぶ歩行者道。
しかも、現在、中央にはトラムを施工中であり、近(現)代都市の上に、21世紀都市の
サーキュレーションが重なりあおうとしています。


また、志半ばにしてこの世を去ったペレの想いを受け継ぐ建築家たちによる再建の中でも、
「サンジョセフ教会」は、鉄筋コンクリートの中にこぼれるステンドグラスの光が、骨太の
空間に彩りを与え、素朴な感動と郷愁を誘います。
 

「パリ通り」の建築物は、ペレの監修の下、40人の建築家の手によって手がけられ、
正に、パリのリヴォリ通りをインスピレーションとして作られた通りなのだそうです。


ペレが生み出した建築物の作法は、町中に広がっています。
円柱の並ぶ古典主義的なデザインコードを有しつつ、
グラウンドレベルでの1.5層の活動空間を上には、コーニスやバルコニーが張り出し、
その上には、2-3層の住居、さらに水平ラインをつくるバルコニーを挟んでその上に
住居が積み重なってゆきます。

 
建築の内部も、光が差し込む心地よい空間が広がっているのみならず、
ダストシュートや空調ダクトなど近代設備空間があらかじめ備えられています。
北側に配されたキッチンにも、ハイサッシュとも言えるような大きな開口から光を採りこみます。
 

特に、とても印象的なのは、都市空間がもつ、「コンポジション」。
都市スケールから建築スケールまで、「スケールトリップ」をしながら生み出された
都市空間は、時に鳥の目で感じる大きな軸線や構成を感じながら、
また時には、生活レベルの虫の目で感じる空間のリズムを有しています。

ある意味で、スタイロフォームでつくった1/500の模型のような、シンプルな空間構成
な訳ですが、その1/500スケールで置かれた各フォームの「構成」(低層と中層と高層
の階数のリズム、隣棟間隔や街路との距離、低層の回り込み方、空地のとり方など)が
絶妙な距離感を生み出しているのです。

建築物の柱のスパンから、街路の幅員まで、6.24mのモジュールによって創られており、
都市空間全体のスケール感を統合し、グーグルマップのようなスケールトリップを
可能にしています(さきほどの室内写真に写る「柱」がこのモジュールが室内にまで
及ぶことを物語っています)。


ちなみに、代官山ヒルサイドテラス、例えばC棟でも、一見複雑な形状をしていますが、
5.4mの方形グリッドの平面の上に乗っかっていることがわかり、複雑な形態はシンプルな
構成の下で生まれていることがわかります。

近年の日本では、なかなか都市空間全体のコンポジションを同時に構築することは
難しいですが、 この空間「感覚」は、受け継いでゆきたいものです。

2012年9月18日火曜日

フラットな都市【ストラスブール】

アルザス地方、ルクセンブルグを抜けて、ドイツに近接しながら、
フランスを南に向かうとストラスブール。

交通やまちづくりを行う日本の関係者にとっては、もはや一種の「聖地」(?!)でもあります。

お恥ずかしながら、ややミーハーに、定番のカットをお送りします。
(円形のガラス屋根の架かる複合的なトラム駅【homme de fer】)


街並みに目をやると、ストラスブール周辺のヴォージュ山脈でとれた赤砂岩
により、落ち着きつつ華やかな美しさでまちじゅうを包み込まれています。

適度に街路と路地と広場は互いに重なり合い、
ほどよくセンス良く飾られた花たちが、まちに彩りを与えています。
 
 
 
あくまで感覚的ですが、ここで感じるのは、「スムーズ」。
トラムは静かに私の目の前数十㎝を通過し、
(石畳が軌道と歩道で微妙に変わっているので、危険かどうかはわかる)、
静かに、でも、豊かにまちがうごめいています。
 
時間帯によって車両通行禁止を行うボラードも自然にあり、
軌道、車道、歩道、自転車駐輪、駐車スペース、街路樹、自転車道、オープンカフェが、
それぞれ微妙に舗装や位置をそろえつつも、
「整然と混在」している様子に、フラットでありながら、多様に混ざり合う、
節度ある混在が実現しているところがとても印象的でした。
 
 
ちなみに、ストラスブールは交通都市であるだけでなく、観光としても魅力を持っています。
市街地を取り囲む運河を巡る観光船は、現在も機能する閘門や船が通るときには90度
回転する橋などを用いて遡上してゆきます。


歴史的記念物の日(ブリュッセル)

歴史的記念物の日(European Heritage Days/Journees du Patrimoine)は、
9月中の土日に、ヨーロッパ中の49か国の各都市(都市圏・郊外・田舎も含めて)で
行われています。

チョコレート、ワッフル、ビール、ムール貝…と食事を挙げるに事欠かないベルギー、中でも、
19世紀末、オースマンの都市大改造がヨーロッパに広まる中で、シャルル・ビュルス市長の功績
によって、都市の修復型保全が実現して、芳醇な歴史が漂うブリュッセル(ベルギー)でも、
9月15-16日に、「歴史的記念物の日」が開催されています。

都市圏政府がイニシアチブを採るブリュッセルの歴史的記念物の日、
今年のテーマは、「構造の芸術」。構造美がよくわかる建築物が無料公開されています。

各施設では、歴史的建造物に関連する中間支援団体の
スタッフによるガイドビジット(ただし、フランス語/オランダ語…)が行われます。

明日から新学期の始まる高等専門学校に向かうと、単に建造物の歴史のみならず、
なぜここにこの建物があるのかを示す上で必要な、都市や通りの成立ちから解説されました。

 
 
光の降り注ぐ教育環境を実現するため、建設当初から中庭にはガラスの屋根が
架けられており、排気排煙窓も設けられています。
 
 
いつもはオフィスとして使われているらしいまちなかの小施設に行くと、
レンガのアーチ屋根に鉄骨の細い柱で出来上がる(非地震国ならでは?)構造が見られます。
 
 
ちょっと中心部から外れると、近代から現代に向かう20世紀初頭に活躍した、
物流のための公共倉庫+駅の遺産が残されています。
 
流通の拠点として、河川と石畳の街道が通るその脇にたたずむ、
「Tour et Taxi」と呼ばれるこの施設は、その一部、
鉄道が中央に入り込んで荷物を出し入れした巨大倉庫部分が、
ショッピングセンターとして再生活用されています。
 
また、大きな鋸屋根の施設や、元駅舎も残っており、全体を含めて
現代の「モノ」を支えてきた壮大な空間の力を感じます。
 
 
また、構造美の中に、さらに、アールヌーボーの装飾意匠が
細かく絡み合う、とても美しいものです。
 
そして、オペラなどの開催される劇場の内部公開。
舞台に立つと、とても装飾の施された観客席を前に、
後ろには機械的な緞帳や照明などがひしめいています。
 
 
ブリュッセル旧市街地内で28施設、首都圏域だと83施設。
解説は、どこも熱心で、時には2時間に及ぶ施設も。
とても数日では回りきれませんが、市民はとても熱心にガイドに耳を傾け、
時折質問や笑いを交えながら、積層する都市の魅力を味わっていました。

2012年9月16日日曜日

歴史的記念物の日(パリ)

ヨーロッパでは、9月の土日になると、各都市で、歴史的記念物の公開が行われます。

「歴史的記念物の日」(European Heritage Day/Journees du Patrimoine)と呼ばれるこのイベントは、普段入ることのできない歴史的建造物等が、9月中下旬の土日二日間程度、無料で一斉公開になるイベントです。

1984年にフランスに始まり、その後諸国に広まった後、1991年、欧州評議会(Council of Europe)によって、ヨーロッパ全体の取組みとして位置付けられ、今日に至るイベントです。

今年のフランスでの歴史的記念物の日のテーマは、「隠された遺産」ということで、地下遺産、普段見られないもの、埋もれた遺産などが公開されます。

パリでは、今年は、9月15-16日の土日に行われています。
新聞風のプログラムには、300に及ぶパリ市内の施設と、そのほかパリ郊外の施設が掲載されており、その中には、この日のために特別公開される建物なども含まれています。


朝からHotel de Ville(パリ市庁舎)には、公開を待つ長い列が並んでいます。


中に入ると、普段入ることのできない、荘厳な大空間が広がっています。
市長の執務室や議場などを観覧しつつ、


広間では、市庁舎を普段から守る、清掃、床、看板、鍵、椅子などの職人が、普段自分たちが行っている職人としての仕事について語ってくれました。伝統だけでなく、こうした建物が様々な職人たちの手によって今でも小さく手を加えられていることがよくわかります。写真は、「床職人」の仕事。



また、まちなかでは、中世に建てられた、小さな邸宅、ハーフティンバーのファサードが見える
中庭などを特別公開していました。
中では、こうした建物の保全活動を行う中間組織(アソシアシオン)の方が詳しく解説をしてくれました。



リヨン駅(Gare de Lyon)では、普段入ることのできない時計塔にのぼり、時計塔の歴史と駅の変遷についてのレクチャーをうけ、リヨン駅から旅行を促す長いフレスコ画についての解説を聞きました。時計塔は、バスティーユからも見えるように、通りの軸線に合わせた位置に建てられています。


積み重なる都市の魅力を紐解くために歴史的建造物を巡り、都市の歴史を学び、
愛着を産むための取組みがヨーロッパの都市中に広がっています。