2013年7月9日火曜日

都市-郊外-地方のトライアングル

都市-郊外-地方の関係性を巡る三つの話です。

【その1】 三浦展氏によるミニレクチャー(コレヨコAgain、2013年7月5月)

消費社会を研究されている三浦展さんによれば、郊外も含めた高齢社会を迎える中で
※2055年の人口は1960年代水準に戻る(8000万人)
※2055年の人口最大世代は、81歳(つまり団塊Jr.がずっと最多世代になる)
 
  そのため、年金生活後も団塊Jrが最多層になり若者の負担増大と「若者の取り合い」が起こる
※東京では、ベビーブーム(疎開があるので1941年ごろのみ)と第二次ベビーブームがあるが、
  地方では、第二次ベビーブームはない(東京にとられている)
※都心回帰は、流入したのではなく、流入よりさらに流出が減った(東京から離れなくなった)
 そしてそれは、子どもを産まなくなったので、郊外に出なくなったことを示している
※23区の人口増加の40%は外国人であり、東京も外国人でもっている
※パラサイトシングルや未婚者が増えている。制約社員(介護や子育てで自由に仕事ができない)
 人も増えてくる
※中年パラサイトシングルが増えると相続もできず空き家が問題となる…
※こどもとの近居希望者は増えている
→誰もが一人前では生きられない時代が来る
→郊外を「都市化」する必要がある
→シェア型社会が必須になる

【その2】 阿部真大(2013)『地方にこもる若者たち』(朝日新書)の読了

地方にこもりがちだと言われる現代の若者を、社会的状況で客観的に捉え直した本書は、
20代以下の皆さんを理解するうえでも非常に面白い書です。
そもそも「KY(空気を読めない)」という若者を批判する大人の時代は、空気は、誰もが
読みやすいわかりやすいものであったが、現代は、そもそも、空気は読めないものであり、
空気を読もうと必死なのであり、だからこそKYがレッテルを貼られるのだという指摘は、
そもそもの両者のスタンスを明確にしています。

モータリゼーションが完遂してしまった現代においては、
つまらない田舎と便利な都会の間である、「ちょうどよい感じの地方都市」が
魅力と捉えられ、「ほどほどパラダイス」であるイオンは余暇の中心であり、
大都市はプラスアルファの余暇に過ぎない点、

ファスト風土が懐かしいと感じる世代にとって、地元とは、ショッピングセンターでありコンビニであり観光名所あるという現実、そして、地元志向に回帰する現代ではあるが、あくまで家族や友人関係が中心であり、地域関係は含まれていない点、ただし、子育てなど必要なライフイベントに伴い地域関係が開かれうる点、

余暇そのものを充実させるのではなく余暇を仕事の延長線上で考えることで生きる知恵を持つ、
独身貴族→パラサイトシングル→社会的弱者と変容するおひとりさまの位置づけ、
やむを得ず一緒にいざるを得ない親との友達関係、いつ崩壊しかねない、仕事のやりがいとパラサイト関係とそこから切り開こうと試みる若者などが示されています。
さらには、J-POPの歌詞を分析して、
80年代(BOØWY):社会への反発(逃げ)と母性による承認←若者が楽しめるところのない地方
90年代(B'z):不安定化した社会に向き合う努力(敵の喪失)←ゆとり教育、男女平等、地域衰退
    (ミスチル):ありのままで始まる関係性による自分らしさの再定義
00年代(キックザカンクルー):地元回帰による地域の関係性構築
そして、現代は、切り開きながら関係性を再構築する若者に切り開かれ方が提示されています。

※内にこもりつつ外に開いてゆく
 他人のことはわからないことを前提に話し合いによって、自分たちを
 少しずつ変化させてゆく、「新しい公共」のあり方を探る生存戦略

【その3】「建築から社会を考える」伊東豊雄氏シンポジウム(2013年7月9日)

本日7月9日、横浜国大にて、伊東豊雄さんのシンポジウムがありました。
「みんなの家からこれからの建築を考える」
「みんなの家からこれからの社会を考える」ということで、被災地のいくつかに
つくられたみんなの家とその設置プロセスを追いながら、近代の都市と人間の関係を
超えた社会のあり方が示されました。

特に、「岩沼市のみんなの家」を創る際に関わった、新たな農業を創出しようと頑張る
NPOがんばっと玉浦の方々や、そこに関わる会社(や中田英寿)と情報発信拠点化、

あるいは、「釜石漁師のみんなの家」に見る漁連のボスと、直接消費者とつながるホタテ漁師の関係、そして、東京都も頻繁につながりながら、それらをマネジメントする、花巻にいるNPO東北開墾の方の姿に、これまでの地方や家族、都会や弱い紐帯を超えた、地方と都会を自由に行き来する
「新しい個の強い絆」を見出したというお話でした。

元気な被災地の個が突かれた東京の個を蘇らせる…と。
***
この3つのお話は、「都市-郊外-地方の新たな関係性」を感じさせる興味深い話です。

都市か地方かでもなく、都市か郊外かでもなく、このトライアングルをどうトリップできるか、

もしくは、郊外がどのように都市-地方化できるか(私生活主義の脱出と他者への想像力)、
地方がどのように都市郊外化できるか、都市がどのように郊外地方化できるかなど、
様々な側面を想像することができるでしょう。



 

2013年7月1日月曜日

コレヨコ(これからどうなるヨコハマ)again

横浜の創造界隈の拠点の一つであり、様々な創造活動を発信し続ける、BanART。
このバンカートで数か月単位で開催される「BanART School」の一環として、

「コレヨコ(これからどうなるヨコハマ)again」

というスクールが、BankARTのリーダー池田さんと、建築家佐々木達郎さんを主催として
行われています。
そこでは、毎週1回ずつ集まり、全7回にわたるシリーズレクチャー&ゼミです。
第一回は、元横浜市職員で、ヨコハマの都市形成をまとめた名著、『港町・横浜の都市形成史』
の編纂にも携わられた)石黒さんから、横浜開港から戦後(六大事業まで)の都市形成レクチャー。

軍事的理由も含めて鉄道が横浜(当時は桜木町)を通らなくなったところから、横浜が中心から外れてしまった話や、綱島温泉がかつて桃の生産地だった話、郊外の土地利用分布の話(自然・集落・養蚕ほか)など、

二回目は、土井さん(横浜市水道局)と加川浩さん(浅田孝氏が立ち上げ、田村明氏も所属していた日本初?の都市コンサル事務所「環境開発センター」で活動ののち、自ら独立されて横浜の都市デザインに大きくかかわった方)を中心に、主に横浜の都市づくりの骨格となった「六大事業」の
お話しがありました。

そして、第三回目は、私が千葉大学の岡部明子先生をお呼びして、
芸術文化創造都市・横浜、そしてインナーハーバー構想などの見られる2000年代、
「シティ・リージョン」の概念を通して、新たなヨコハマの開国論?とまではいかなくとも、
新しい横浜のネットワーク構築について議論しました。

岡部先生は、ヨーロッパ、特にバルセロナの都市政策にお詳しく、これを中心に話されました。

横浜とバルセロナ、1859年という同じ年に都市の骨格が出来上がった話
(開国・関内の形成とイルデフォンソ・セルダのプラン)を皮切りに、二つの提言を頂きました。

「日本文化は(元々)クリエイティブ」

過去を論理的に整理する「Innvative」より、過去をリセットする(水に流す)ことのできる
文化は「Creative」である、そして、都市をリセットして使いこなすバルセロナと、
それに向いた日本文化というお話。

バルセロナには、これまで、二つのリセットがあり、

バルセロナの一つ目のリセットは、「1976年、フランコ政権の終焉とともに民主化」。
その際、都市デザインとしては『公共空間』を通して都市を開くことを試み、
空地の創出による「多孔質化(スポンジ化)」を目指すと同時に、
(1934年、コルビュジェも少し関わっていたともいわれる都市ビジョン、マシア計画に、
既に多孔質化が計画されていたとのこと)
EC加盟と1992年バルセロナオリンピックを契機に、さらに『海に都市を開く』ことで
大きな公共空間を創出し、海岸線を4㎞に及んで、見捨てられた空間を都市に開いたのでした。
ちなみに、海を都市に開いたもう一つの時代は、中世地中海都市を目指した時の
バルセロナ、大航海時代に向けて地中海の首都となるべく開かれた時代です。

そして、バルセロナの第二のリセットは、2011年における政権交代。
新政権となり、技術系スタッフやチーフアーキテクトも入れ替わったようです。
そこでの都市戦略は、これまでと逆の「都市と山をつなぐ」。
緑の連結による都市と山との関係構築を中心としたプランです。

そして、もう一つの提言は、
「日本文化には、ネットワークは不利」

行政圏域(国や県など)同士のつながりよりも、「バルセロナ」とか「パリ」
という、「都市」が点と点として直接、しかも圏域を超えてつながる都市同士の
連携関係として「シティリージョン」という概念をご説明いただきました。
都市と地域が手を携える欧州、EUモデル、そして、
地中海から中欧(というより西欧の東側)を通り北欧・イギリスに
向けてのライン「ブルーバナナ」がEUの発展ラインであることが示され、
都市の繋がり方に骨格が生まれたようです。
コペンハーゲン(デンマーク)とマルメ(スウェーデン)は国を超えて橋がかかり、
就業地と居住地として(マルメの方が住宅が安い)、日々、橋を越えた通勤が行われているなど、
都市同士がつながることによる「シティリージョン」の事例も紹介いただきました。

これらを受けて横浜のこれからを考えます。
東京と横浜の関係、あるいは横浜の中心と郊外の関係を超えた、新たな都市ネットワークの
可能性はないか、例えば、東京を奥にして東京湾の両サイドに立つ横浜と千葉が、
「海のゲートシティ」として新たな関係を構築するとか(海に近い南の方が、「上」総…)、
あるいは、朝鮮通信使のような、各都市と国内外の多様なネットワークなど、想像は膨らみます。

いずれにしても、ネットワークは「仕掛けた側」が有利とのこと。受け手のネットワーク化は、
むしろ、ストローで吸い上げられる可能性もあり、ネットワークの積極性も提言されました。