2013年10月6日日曜日

天空の城(郷) と 犬と鬼

本日は、通常の生活では考えられない、秘境にある現代の暮らしについてです。

一般的には、水が得やすい場所、気候変動を受けにくい場所として、
河岸段丘の上、あるいは、山の麓などに集落が並ぶのが通常です。

 
 

しかしながら、わざわざ山の上や中腹に住んでいる人たちがいます。

「天空の城(郷)」ともいうべき、徳島県三好市祖谷の落合集落。
標高差は390mのところに、約60-70くらいの世帯が貼りついています。
これまでのブログ(『Project List 2013』:http://udynu2012.blogspot.jp/2013_05_01_archive.html
の中の地域マネジメント計画にある、長倉集落も急斜面に張りつく集落ですが、
それよりもとても高低差も世帯数も大きな集落です。


ちなみに、こんな条件の厳しい場所に住み始めたのは、屋島の合戦後の
平家の落人伝説と関連しているといわれています。。。

現在、この落合集落は、伝統的建造物群保存地区に指定されています。
(伝統的建造物はそれなりにあるようですが、
  多くがトタンを被っており、いわゆる茅葺が見えるのはわずかです)。

祖谷地域では、東洋文化研究家、アレックス・カーさんの生活と取組みが有名です。
アレックス・カーさんは、『犬と鬼』(2002、講談社)という、
日本社会への警鐘をやや辛辣な表現で描き出した書籍、そして、
祖谷の暮らしから日本文化への傾倒と警鐘を描き出した、
『美しき日本の残像』(2000)が有名です。
近年では、京町家を宿泊施設とすべく、一日の賃貸借契約による、
「京町家ステイ事業」なども展開されています。

カーさんは、この祖谷に出くわした1971年、この地を正に「桃源郷」だと感じ、
地域を捜し歩いて、空き家となっている茅葺民家を見つけ出し、
所有者と交渉してこれを買い取り、自ら修理改修しながら、
その民家を「篪庵(ちいおり)」と名付け、維持管理を行ってきました。

その後、いよいよ、自らの活躍で、仕事や関係が広がる中で、
自分だけでは維持しきれなくなったのか、関係者と組織をつくり、
現在では、「NPO法人篪庵トラスト」という組織の形で活動されています。
当の茅葺民家(篪庵)は、近年本格的な改修事業が進んでおり、
2012年8月より、簡易宿泊所として活用されています。


 

この篪庵は釣井という集落にあるのですが、同NPOは、さらに、落合集落にある
3棟の茅葺民家の再生活用を事業化し、これもゲストハウス(宿泊所)として活用しています。
食事は出ませんが、自炊か、出前か、地域のお母さんとともに料理をする(料理をしに民家に行く)
などが可能となっているそうです(浮生と晴耕・雨読)。


アレックスカーさんは、縮減時代においては、斜面集落では農との関係も大切ながら、
完全なる再興はできない。
ならば、観光も含めて、このネットワークを全体として維持するしかないのではないかと、
エッセンスを受け継ぎながらの新たな可能性を模索されているようです。
ちなみに、NPOのスタッフの方は、カーさんのテレビをみて、これだ!と思って
参加したとのこと。みなさまも、一念発起してはいかが?

そして、こうした斜面集落は、祖谷だけにとどまりません。


美馬市の「家賀(けか)」という集落も同じように斜面に貼りついています。
ここでは、四国のため池の風景とは異なり、
山の上でも湧水や井戸から水が豊富に手に入るそうで、
そのため、上に行くほど、高い階層の家ということになるようです。


この集落をつぶさに眺めていると、斜面に生きるための様々な工夫が施されています。
石垣は、大きな石と小さな石の組み合わせ、角の反り、基礎のようにおかれる松の木など、
職人の技により、絶妙な力の伝達で、崩落や破壊を防いでいます。
そして、この石垣は、なんと輻射熱によって、作物育成の手助けをしているのだそうです。
 なんというエコ技術ぶり!

農地は、なるべく面積を増やすために斜面のままで畑として使われ、表土が流出しないように、
そして肥料にもなるように、藁が混ぜ込まれます。


さらに、この石垣からの放射熱に用いて、作物の育成が助ける技術も用いているとのこと。

さらにさらにすごいのは、これらの集落からは、等高線に沿ったみちが続いており、
集落同士がネットワーク化され、「そらの郷」同士で生活が組み立てられていることです。

 ***
幸福とは何か、暮らしとは何か、厳しい環境の中でも、知恵と工夫で生活を構築する力、
現代は本当に豊かなのか、現代は本当にお金がなくて暮らせないのか、
こうした暮らしと都市の関係性はどのようにあるべきか、今後の課題です。