2013年1月7日月曜日

『漁師はなぜ、海を向いて住むのか?』

地井昭夫『漁師はなぜ、海を向いて住むのか?』(工作舎、2012年6月)

遅ればせながら、年末年始に読みました。なかなか、じっくりと都市を見つめる機会が少ないですが、この本を通して、いろいろと考えさせられ、前向きな新たな想いもあり、これまでの反省もあり、自分自身を見つめなおす、よい機会にもなりました。

なぜ、漁師(漁村)は、海に向かっておしくらまんじゅうのように住んでいるのか、それは、貧しいから、封建的だから、海沿いで便利だから、天候を見極めるためだから、土地が狭いからなどの理由を超えて、海の幸・海の神を迎え入れる心に着目しています。しかし、それは、単に精神の問題だけではなく、海を通した「暮らし方」の問題としてとらえているのではないかと思います。

暮らしとは、いわゆる「居住」だけでなく、「生業」とも密接に結びついているものであり、海という、途切れることのない連続的空間・物質を通して行われる水産業は、完全に個人の所有地や所有物を分けることができません。そのため、必然的に協働・共有・分配などと切っても切れない関係になるのでしょう。 海や水を通して、断ち切ることのできない関係、どうやっても存在してしまう複雑なな関係性…、「海のようなエーテルに包み込まれた」社会関係は、完全にセクショナリズム・ファンクショナリズムでは把握しきれないリキッドなものだなと改めて確認できました。この、「生業(生産)と環境(生活)の動的な関係」は、「モノづくりのまち」で考えていることとも通じるものです。
単純にワーク・ライフバランスというよりも、そもそも生産と生活が一体化されている姿です(それが前近代ということなのしれませんが、現在のコ・ワーキングやノマドな働き方を考えると単純にそう割り切れません、また、書の中では、「狩猟採集社会→農業社会→工業社会→情報社会」と変遷する中で、実は狩猟採集社会と情報社会は、社会の形態が類似していて、輪廻しているのではないかという観点も呼び起こしてくれます)。

これを空間として読むと、書の中で紹介されている「漁港村」(漁港と漁村の一体性)につながります。 「共同生活空間」としての波止(漁業や網の修繕をやりながら、会話や交流も同時に行われる)の持つ多義性も、そうした関係の空間化の事例です。

そして、水産業の複雑性は、家族形態も多様なものにします。農村のような父系社会だけでなく、男女で行う漁業や、海女さん、そして、本土と島での二地域居住を伸縮自在に行うなど、家族形態に伸縮性と多様性(「しなやかな家族形態」)は、近年の家族問題の解決にもつながるかもしれません。中で紹介されている「ライトバン海女」(ライトバンに乗って、各海で海女をして回る集団)なども魅力的なあり方です。

さらには、そもそも、漁村は、舟から陸に上がったのではないか(「舟住まいの陸上がり」説)という仮説に対して、海女集落の調査から、その論拠となる変遷を見出したりしています。

また、漁村や孤島をみつめることで、奥尻島の被災、阪神淡路大震災(淡路島)、あるいは、伊豆大島の大火からの復興に対する指摘も多く述べられています。昭和三陸津波時の吉里吉里(大槌町)の復興計画についても言及されています。氏ならば、現在の東日本の状況をどうみつめるでしょうか。
 
しかし、何よりも背筋が伸びるのは、世間が学会が社会がなんと言おうと、自分が正しいと思う道を追い続けることの大切さ、そのまっすぐさかもしれません。
氏には遠く及ばないですし、私は系譜としてつながるものではありませんが(早稲田吉阪隆正氏のお弟子さんであり、象設計集団系のみなさんなどと同系、漁村計画研究所や漁村研究会の創始者でもあります)、少しでも前を向いてゆきたいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿