2012年9月20日木曜日

都市のコンポジション【ル・アーブル】

セーヌ河口に佇む、濃青の空にウミネコの白翼が横切る港町、ル・アーブル(Le Havre)。
16世紀初頭に開かれたこの街は、第二次大戦中、ノルマンディー上陸作戦から続く
艦砲射撃と空爆により破壊された後、戦後にモダニズムの計画都市として
奇跡の再建を遂げた都市です(その意味では、関内牧場と呼ばれた旧市街地で、
中庭型の計画的な都市再生が試みられた横浜とも類似しています)。


この復興都市計画を任されたのが、ブリュッセル生まれ、フランクリン街のアパートメント(パリ)
の設計でも有名な「鉄筋コンクリートの巨匠」、オーギュスト・ペレです。

 ル・アーブルは2005年、「オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル」として、
ユネスコ世界文化遺産に登録されています。
戦後復興都市計画は、ある一人の建築家のコンセプトを中心にモダニズムの都市空間を
実現したという意味では、チャンディーガル(コルビュジェ)やブラジリア(ニーマイヤー)など
とも類似しますが、ややスケールは大きいものの、その奥に見える斜面緑地の緑や
建築の中にも生活空間のアクティブな空気や、港町の大らかな空気など、
空気感をまとっているという意味で、活きたまちだと感じます。

被災して更地となった旧市街地では、港町から始まった歴史や、
旧市街地の被災を免れた建物や都市構造を下敷きにしながらも、
基本的には、タブラ・ラサ的に、新たなグリッドの都市空間が構築されています。


中央には市庁舎が配され、その東西に大通りが配され、
特にシャンゼリゼよりも広いとも言われるフォッシュ大通り、
市庁舎前の広場からこの大通りに直交したパリ通り、
そして、港沿いにひかれたフランソワ1世通りによって三角形が描かれます。
 
最も印象的なフォッシュ通りは、非常に広い幅員の街路には、一車線ずつしか車道はなく、
残りは(被災のためか、一部しか豊かには残ってないのですが)街路樹の並ぶ歩行者道。
しかも、現在、中央にはトラムを施工中であり、近(現)代都市の上に、21世紀都市の
サーキュレーションが重なりあおうとしています。


また、志半ばにしてこの世を去ったペレの想いを受け継ぐ建築家たちによる再建の中でも、
「サンジョセフ教会」は、鉄筋コンクリートの中にこぼれるステンドグラスの光が、骨太の
空間に彩りを与え、素朴な感動と郷愁を誘います。
 

「パリ通り」の建築物は、ペレの監修の下、40人の建築家の手によって手がけられ、
正に、パリのリヴォリ通りをインスピレーションとして作られた通りなのだそうです。


ペレが生み出した建築物の作法は、町中に広がっています。
円柱の並ぶ古典主義的なデザインコードを有しつつ、
グラウンドレベルでの1.5層の活動空間を上には、コーニスやバルコニーが張り出し、
その上には、2-3層の住居、さらに水平ラインをつくるバルコニーを挟んでその上に
住居が積み重なってゆきます。

 
建築の内部も、光が差し込む心地よい空間が広がっているのみならず、
ダストシュートや空調ダクトなど近代設備空間があらかじめ備えられています。
北側に配されたキッチンにも、ハイサッシュとも言えるような大きな開口から光を採りこみます。
 

特に、とても印象的なのは、都市空間がもつ、「コンポジション」。
都市スケールから建築スケールまで、「スケールトリップ」をしながら生み出された
都市空間は、時に鳥の目で感じる大きな軸線や構成を感じながら、
また時には、生活レベルの虫の目で感じる空間のリズムを有しています。

ある意味で、スタイロフォームでつくった1/500の模型のような、シンプルな空間構成
な訳ですが、その1/500スケールで置かれた各フォームの「構成」(低層と中層と高層
の階数のリズム、隣棟間隔や街路との距離、低層の回り込み方、空地のとり方など)が
絶妙な距離感を生み出しているのです。

建築物の柱のスパンから、街路の幅員まで、6.24mのモジュールによって創られており、
都市空間全体のスケール感を統合し、グーグルマップのようなスケールトリップを
可能にしています(さきほどの室内写真に写る「柱」がこのモジュールが室内にまで
及ぶことを物語っています)。


ちなみに、代官山ヒルサイドテラス、例えばC棟でも、一見複雑な形状をしていますが、
5.4mの方形グリッドの平面の上に乗っかっていることがわかり、複雑な形態はシンプルな
構成の下で生まれていることがわかります。

近年の日本では、なかなか都市空間全体のコンポジションを同時に構築することは
難しいですが、 この空間「感覚」は、受け継いでゆきたいものです。

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