2013年1月17日木曜日

UDCKディレクター募集!

2006年11月に設立されて、早6年、
TX(つくばエキスプレス線)、柏の葉キャンパス駅前に位置する、
「UDCK(アーバンデザインセンター柏の葉)」は、
駅を中心とした新たな市街地開発を担う三井不動産と、
地元大学である東京大学(新領域創成科学研究科)と千葉大学、
行政である千葉県と柏市、その他地域団体等が連携しながら、
公×民×学の連携による豊かな地域づくりを推進する団体です。

都市の諸問題、あるいは豊かな都市をつくるための方法論、
あるいは、担い手づくりは、これまで、

行政(例えば、横浜市都市デザイン室のような)、
地域(まちづくり協議会やまちづくりセンターのような)、
民間(都市ブランディングのような)、
大学・専門家(まちなか研究室のような)

などが進めてきましたが、これらの力のお互いのよいところを緩やかに
補い合い、しかも、市民が気軽にアクセスする「場所(拠点)」を設けようとする、
アーバンデザインセンター運動の先端事例でもあります。

(1)地域の問題を様々な力を融合してWIN-WINに解決する:機能論
(2)それぞれの役割、特に専門家(弱い専門家と呼ばれる広いマネジメント技術者も含む)が
  流動的に活躍する場をつくる:職能論
(3)誰でも気軽にアクセスする場(空間=Place)を創出する:拠点論

の総合的な実験場でもあります。

で、そのUDCKの運営を中心的担うディレクターを募集しています。
(2013/1/25まで)
詳しくは、HPを参照してください。

http://www.udck.jp/event/002131.html

2013年1月14日月曜日

第一回『対話』(2012年12月)備忘録

去る、2012月12月12日(水)に、YCC(ヨコハマ創造都市センター)で行われた、
YCCスクール事業、第一回『対話 ~都市イノベーションを廻る思考』は、
横浜国立大学都市イノベーション研究院の二人の先生
藤原徹平先生(建築家)と榑沼範久先生(芸術・哲学)のお二人による
「今、都市は文化を生み出すのか」をテーマにしたものでした。

大変面白い話でしたので、その備忘録をお送りします。
なお、基本的に、その時の言葉をそのまま載せ、解説はあまりしませんので、
断片で各自いろいろお考えください。

以下、備忘録
*****************************

「そもそも、クリエイティビティが求められていること自体が、何かの課題を示している。」

『イノベートは最後の手段、
イノベーションの名のもとに、
どんなひどいことでもなされている』(チャールズイームズ)

「(イームズによれば)、デザインとは、『ギフト』である。
  デザインする相手が必ずいる、
  この人に座ってほしいと思うことからデザインが生まれる。」

「オタクは内向的世界から生まれている。
 原宿(秋葉原)がサブカルをつくったとはいってほしくない。
 都市がサブカルを誘導したりはしていない。都市と文化は関係ない。」

「都市は国家や社会より長く、巨大である。」

「21世紀は都市の時代なのか?
ずっと都市はテーマなのだから、常に都市の時代なのではないのか?」

「きわめて活動的な多数の人々の群れの中で、
 生活の便宜を何一つ欠くことなく、しかも最も遠い荒野にいるのと同様な
 孤独な隠れた生活を送ることができたのである」
(デカルト『方法序説』より)
→アプルトンの「見られずに見る」(=眺望)のごとく、都市の原点を感じました。

「ジョンラスキンの『建築の七灯』や世界遺産憲章による都市は、
 一歩間違うと、人間活動をDocument的に保存してしまう。
 人間活動そのものがDocument化され、読み物として優れた時には保存されるが、
それは止まった都市である。
エディンバラは、ドラゴンクエストのように、一回目は面白いが、二回目、三回目はつまらない。」

「坂口安吾的論理では、『日本文化史観』(社会学的史観)の通り、
『今、こういうことがおきている=素晴らしい』(例えば、東京拘置所などの高評価)
しかし、素晴らしいと思うものは、「必要性あるもの」であり、やむにやまれぬものしか認めない。
文学のふるさと。突き放されたところからしか生まれない必要性。」

「別府で感じられた、中心市街地が荒廃していても、住んでいる人は困っておらず、
  みな郊外に住んでいる。
 Shortcake House に住み、ショッピングモールで買い物して、ファミレスでご飯を食べる、
 これがとても幸せである状況でまちづくりを進めることのお仕着せ感。」

「とんでもない(ダメな)マンションをよくすることには興味がなく、
 次に何を「足す」かに興味がある。」

「今の経済社会は、無理に都市にクリエイティビティを求めており、
 手段を結果にしてしてしまっている。」

「サヴァンナと動物園、日本の動物園化とコンビニ化」

「関東大震災時には、今和次郎が見出すような、
 キノコのように生まれいづるバラックがあった。
 しかしながら、東日本大震災の被災地に、バラック一つ生まれない不思議な現状…。」
→坂口安吾の「必要性あるもの」や、今和次郎のバラック、
 キノコのように勝手に沸き上がるもの、川俣正の展示のような浸食するもののように、
 自然なものが湧き上がるのが都市の根源だとしたとき、
 自然に湧き上がらない場所は、都市の条件をもたない場所なのだろうか、
 はたまた、気長に待つべきなのだろうかと思いました。

「マンハッタン全体は、超高層ビルが揺れることでシンクロする音叉である」説…。

*************************

以上が備忘録でした。

2013年1月12日土曜日

「私から我々へ」~アジア創造都市国際シンポジウム報告~

本日(2013年1月12日【土】)、YCC(ヨコハマ創造都市センター)にて、横浜市文化観光局主催の
『アジア創造都市国際シンポジウム』が開催されました。

こちらのシンポジウムには、準備段階から、横浜市立大学鈴木先生とともに携わっており、
昨年12月の創造都市セミナーを経て、今回の国際シンポジウムの開催となりました。

海外からは、台湾(台北)、韓国(光州・釜山)、シンガポールからのゲストもお迎えして、
午前中は、基調講演に調査報告、午後は4つの分科会を2つずつに分けて行われた後に
さらに全体会という、非常に盛りだくさんなものでした。

基調講演は、2001年の横浜トリエンナーレにおいて、横浜国大、室井先生ともに、
横浜のインターコンチネンタルホテルにバッタを張り付けた、アーティストの椿昇先生。

「私から我々へ」、つまり、個人からいかに公共性が自発的に生み出せるかを、
ホモサピエンスのこれからのテーマとして掲げられました。

※ルネサンス期に誕生した「芸術家」への懐疑、
※名がないものを生み出す創造的個の重要性
※2つのA(Agile:すばやさ、Adaptation:適応力)の重要性
※都市が常に抱える矛盾(Colosseo:消費という個の暴走の場とSenato:共生模索の場)の理解
※イメージとして残るが形態としてはのこらないフラジャイルをつくること
※市民全員を共犯者にするシステム
※「地域」は「部品」ではない(地域の潜在力の発掘、観光に頼らない地域産業の育み方)
※単年度決済と既得権益のもたらす課題

などなど、非常に重要なキーワードをたくさん述べていただきましたし、
実際に、行われているプロジェクトは、新しいタイプの地域づくりであり、
新たな都市計画家としてのアーティストのあり方ともいうべき衝撃がありました。

次に、調査報告としては、国内創造都市調査、アジア調査、横浜調査の中間報告。
特に、117の自治体が、何らかの形で創造都市政策を実施もしくは関心を有していることが
わかりました。

午後は4つの分科会。
1.アジアの創造都市とは
2.創造都市のエンジンとしての産業活性化
3.担い手がリードする創造都市
4.創造都市における政策展開

私は、分科会2のコーディネータを務めました。
そこでは、台北芸術大学の曾介宏先生から、台湾の文化創意産業の取組み、
経済産業省クリエイティブ産業課の岸本道弘さんから、日本のクールジャパン戦略、
MEBIC扇町(大阪市)の堂野智史さんからは、大阪でのクリエイティブクラスター創生の取組
横浜市経済局長の光田清隆さんからは、横浜文化芸術創造都市政策の紹介がありました。

詳細は割愛しますが、小さな粒子であるクリエイティブ産業の担い手たちが、
細やかで多様でクリエイティブクラスターのネットワークを多数もつことで、
脳のシナプスのように多様な連携の選択肢を持つことが、強くしなやかな適応力と耐性を
手に入れることになる、そのための支援が重要だということだったかと思います。

また、他の分科会で気になったのは、「3.担い手」の中での、BankART池田さんのお話。

国家によって創られた横浜は今でも国家が陰が落とし続けながらも、
シチズンプライドをなんとか作ってきた。
しかし、今一度、組立てを考え直す必要のある21世紀に、
あえて、完成形やゴール、答えの曖昧な「アート」を挿入して、
一見どこに行くベクトルか描くことを放棄したように見えるけれども、
もう一度立ち止まって考えてゆくための仕掛けとして都市づくりの再構築が試みられた
のではないかという話が印象的でした。

最後の全体会では、上記各国のゲストが一堂に会して始まりましたが、
発せられた一つの日本語を、複数の通訳者が各国語に逐次通訳し始める様子が、
正にアジアの「多様性」を表現していたように、
アジア創造都市の特質としての「Cultual Diversity」がキーワードとなりました。

と、とても盛りだくさんの内容で消化しきれないくらいでした。
長時間にわたりお付き合いくださったみなさまには、大変感謝を申し上げますが、
上記の通り、どこか一つでも、これからの都市のあり方を考えるヒントを
各自見つけていただけたのではないでしょうか。

2013年1月7日月曜日

『漁師はなぜ、海を向いて住むのか?』

地井昭夫『漁師はなぜ、海を向いて住むのか?』(工作舎、2012年6月)

遅ればせながら、年末年始に読みました。なかなか、じっくりと都市を見つめる機会が少ないですが、この本を通して、いろいろと考えさせられ、前向きな新たな想いもあり、これまでの反省もあり、自分自身を見つめなおす、よい機会にもなりました。

なぜ、漁師(漁村)は、海に向かっておしくらまんじゅうのように住んでいるのか、それは、貧しいから、封建的だから、海沿いで便利だから、天候を見極めるためだから、土地が狭いからなどの理由を超えて、海の幸・海の神を迎え入れる心に着目しています。しかし、それは、単に精神の問題だけではなく、海を通した「暮らし方」の問題としてとらえているのではないかと思います。

暮らしとは、いわゆる「居住」だけでなく、「生業」とも密接に結びついているものであり、海という、途切れることのない連続的空間・物質を通して行われる水産業は、完全に個人の所有地や所有物を分けることができません。そのため、必然的に協働・共有・分配などと切っても切れない関係になるのでしょう。 海や水を通して、断ち切ることのできない関係、どうやっても存在してしまう複雑なな関係性…、「海のようなエーテルに包み込まれた」社会関係は、完全にセクショナリズム・ファンクショナリズムでは把握しきれないリキッドなものだなと改めて確認できました。この、「生業(生産)と環境(生活)の動的な関係」は、「モノづくりのまち」で考えていることとも通じるものです。
単純にワーク・ライフバランスというよりも、そもそも生産と生活が一体化されている姿です(それが前近代ということなのしれませんが、現在のコ・ワーキングやノマドな働き方を考えると単純にそう割り切れません、また、書の中では、「狩猟採集社会→農業社会→工業社会→情報社会」と変遷する中で、実は狩猟採集社会と情報社会は、社会の形態が類似していて、輪廻しているのではないかという観点も呼び起こしてくれます)。

これを空間として読むと、書の中で紹介されている「漁港村」(漁港と漁村の一体性)につながります。 「共同生活空間」としての波止(漁業や網の修繕をやりながら、会話や交流も同時に行われる)の持つ多義性も、そうした関係の空間化の事例です。

そして、水産業の複雑性は、家族形態も多様なものにします。農村のような父系社会だけでなく、男女で行う漁業や、海女さん、そして、本土と島での二地域居住を伸縮自在に行うなど、家族形態に伸縮性と多様性(「しなやかな家族形態」)は、近年の家族問題の解決にもつながるかもしれません。中で紹介されている「ライトバン海女」(ライトバンに乗って、各海で海女をして回る集団)なども魅力的なあり方です。

さらには、そもそも、漁村は、舟から陸に上がったのではないか(「舟住まいの陸上がり」説)という仮説に対して、海女集落の調査から、その論拠となる変遷を見出したりしています。

また、漁村や孤島をみつめることで、奥尻島の被災、阪神淡路大震災(淡路島)、あるいは、伊豆大島の大火からの復興に対する指摘も多く述べられています。昭和三陸津波時の吉里吉里(大槌町)の復興計画についても言及されています。氏ならば、現在の東日本の状況をどうみつめるでしょうか。
 
しかし、何よりも背筋が伸びるのは、世間が学会が社会がなんと言おうと、自分が正しいと思う道を追い続けることの大切さ、そのまっすぐさかもしれません。
氏には遠く及ばないですし、私は系譜としてつながるものではありませんが(早稲田吉阪隆正氏のお弟子さんであり、象設計集団系のみなさんなどと同系、漁村計画研究所や漁村研究会の創始者でもあります)、少しでも前を向いてゆきたいと思います。