2013年6月6日木曜日

「間にある都市」 -相鉄いずみ野線沿線協議会-

去る6月5日、相鉄いずみ野線沿線の地域再生を考える、環境未来都市の連絡協議会が、
泉区の相鉄文化会館で開催されました。

これは、横浜市の郊外である相鉄いずみ野線沿線エリア(二俣川駅~湘南台駅沿線)を
中心として、これからの郊外地域の新たな都市ビジョンを探るものです。

横浜市では、戦後(特に60年代以降)の急速な都市発展、人口増加の波の中で、
郊外に、半ば計画的に、半ば無秩序に住宅が建設されてきました。
横浜は、空間的にも、手のひらのように尾根と谷が入り組み、襞のように斜面緑地が
取り巻いているわけですが、その多くが住宅地として開発されてきました。
その一方で、市街化調整区域は市域の1/4に及び、中でも市独自の制度として
農業専用地区などを設け、郊外にある自然や産業を価値として維持する計画も用いてきました。
このように、都市の中でも無視できない、郊外エリアにおいても、中には高齢化や空き家化
などの課題を多く抱える地域も現れ始め、
将来的に市の大きな課題になることが懸念されています。

さて、協議会に戻りますが、こちらは、20人くらいの会合かと思いきや、なんと100人超!
市の方々や相鉄の方々をはじめ、連合自治会長さん、大学の先生、企業の方々など、
正に、公×民×学が集まり、縮減時代の新たな都市のあり方を考える連携体としての会議です。

何か話せと言うことだったので、私の方からは、
これからは、いろんな関係がひとつの地域に多層的に重なりあうことが重要
(といってもアレギザンダーも含めて新しい話ではないですが…)ということで、
ある意味似たような郊外である柏の葉(千葉県柏市)と比較しながら、
いずみ野線沿線のお散歩から気づいたことを話しました。

また、横浜国立大学で建築計画(特に住宅や郊外団地等)をご専門とする藤岡先生からは、
戸建ニュータウンでの生い立ちから始まり、お父様がおうちでカフェを始めた話、
そして、「近居」と近しい絆、「住めば都」の可能性についてお話を伺いました。

(2013年6月6日付 神奈川新聞横浜面)

90年代後半と、少し昔になりますが、ドイツの都市計画家であるトーマス・ジーバーツ氏が、
「ツヴァイスンシュタット(間にある都市)」という概念を提唱されました。こちらは、
 日本語訳が出ています(トマス・ジーバーツ著、蓑原敬監訳『都市田園計画の展望
「間にある都市」の思想』[学芸出版社、2006年])。

これからの「間にある都市」におけるキーワードとして、
やや抽象的で概念的ですが、

1.多層性(様々な関係性が同時に起こりうる、そしてその関係はオープンエンドである)
2.自律性(自立しつつ、かつ自分で律する)
3.価値の質(量ではなく多元的な質で評価する)

ことが考えうるだろうと思っています。

『明日の田園都市』でE.ハワードは、「都市と農村の結婚」という表現を用いていましたが、
 都市のよさと自然を同時に享受できる、間にある都市は、一見、アイデンティティのない
なんでもないところのようですが、いろんな関係性をそこに紡ぐことで、新たな地域像が
生まれる可能性もあります。しかも、それは必ずしも、密度やコミュニティにはよらない、
しかしながら、「つながる」関係を築けるのかもしれません。

また、中心からは同心円状ということは、中心に比べて面積も広いということになる
この「郊外」エリアも、今後様々な関係を構築してゆくと、一様な「郊外」ではくくれなくなる
可能性があります。依然として「中心」との関係性は残り続けるでしょうが、すべての郊外が
一様な中心との関係とはなりえないということです。

しかしながら、高度成長期にあわてて作られた結果、どうしても単一的な(一様な)場所に、
この多層性をどのように持ち込むことができるのか、そこを探っていきたいと思います。
また、空間(不動産、アセット)の評価としても、その単一性の中でのマスマーケットにおける
評価基準が卓越していたこれまでから、多様化するニーズに合わせた、マイクロマーケット
の可能性についても併せて考えたいと思います。

先項で、書籍『現在知』 での郊外に関する論考についてご紹介しました。
中でも面白かったのは、生まれ出ずる小さな活動の可能性、そしてそれが広がって
人を育んだりして、また生まれ出ずる新たな活動の可能性だったように思います。
そして、どうやらその可能性の度合いは、距離や密度には依らない(もしくは単純な減損ではない)
のではないかという仮説です。

現在、私が担当している大学院スタジオ(環境都市デザインスタジオ)でも、
この場所(相鉄いずみ野線沿線)を舞台にして、
これからの郊外生活、空間のあり方を検討しています。
『間にある都市』に、どんなビジョンが描けるか、これから考えてゆきたいと思います。

2013年6月1日土曜日

『現在知 Vol.1 郊外 その危機と再生』

三浦展・藤村龍至編『現在知 Vol.1 郊外 その危機と再生』(2013年 NHKブックス別巻)
を読了しました。

少子高齢化・人口減少時代において、
「郊外のリ・デザイン」における現状と可能性について、様々な方々の
対談や論考を通して述べれらています。

オープニングは、編者でもある三浦展さんと馬場正尊さん、水無田気流さん、速水健朗さん
の対談です。各自の郊外体験、子育ての体験や知見を基にして、都心と郊外の関係から、
郊外のあり方について語られています。
スポーツ施設などの郊外化により都市の楽しみを郊外でも獲得できつつある
「都市化する郊外の可能性」と、しかしながら、結局郊外化(パッケージされた
消費ショッピングモール)仕掛けている都市化した郊外等の議論が興味深いものでした。

そのほか、多摩ニュータウン、ユーカリが丘、団地でのコミュニティ・ビジネス
たまプラーザのコミュニティ・リビング・
都市計画家水谷頴介氏のポートアイランドやシーサイドももちでの実績など、
興味深い実績や事例に関する論考のほか、

社会学者上野千鶴子さんや、経済に詳しい根本祐二さんとの対談など、
興味深い論考が続きます。

なかでも興味深かったのが、
「商店街はなぜ滅びるのか」を出版された新雅史さんの論考と、
戸建住宅地を研究されている九州大学柴田健さんの論考です。

新さんの論考では、

郊外だけでなく、商店街も均一化は免れていなかった点、初期ロードサイドでは、必ずしも都市と郊外の関係性までは変えていなかったが、トイザラスやイケアは、まっさらな「郊外の外部」(何もない場所)に立地し、「都市→郊外」の逆流パタンを産んだ点、実は、都心部の商業も、①規模の巨大化、②ショッピングモール化、③顔の見える関係性を求めており、都心部と大規模商業との本質的差異がなくなりつつある点、一方で、郊外は閉じられてシェルター化している点などが指摘された上で、移動とコミュニケーションが欠落している郊外住宅での、「二重化」(二地域居住化)や、コンビニ(コンビニ化)が語られています。

柴田さんの論考では、

重松清『定年ゴジラ』の架空戸建ニュータウン「くぬぎ台」(横浜には同名の集合団地が実在しますが…)の話をはじめに、「マイホームパパの同質性を保つ=勝ち続けている」戸建ニュータウンは今や、高齢化とパラサイトによる取り残された街へと変化している点などを指摘しつつ、
実際に、中古リノベーションの発展や、住宅地の内側に個人店舗(カフェ)が増加してゆく様子
(珈琲のこだわりが高じたセルフビルドカフェ、陶芸ギャラリーカフェ、積み木専門店、自転車専門店)などと、そこで行われる、①セルフコンバージョンによるこだわり空間、②隠れてつながる、③居心地の良い場所などの可能性、鎌倉湘南による人気カフェエリア街に生まれた、自治会とは異なる新たなネットワーク型コミュニティ、そして、妹さんがそこの暮らしているうちに、カフェに出入りしながら、ネットワークで創造的起業してゆくプロセスが非常に面白いものでした。

現在、大学院のスタジオ(「環境都市デザインスタジオ」)で、横浜の郊外住宅地を対象にスタディを進めていますが、ヨコハマでは、どんな郊外をリ・デザインできるでしょうか。

かつて、トーマス・ジーバーツ氏により「間にある都市」(都市と郊外)という言葉が用いられた、都市でも郊外でもない場所。何もない場所に、何があるでしょうか。