2013年11月15日金曜日

くりらぼ多摩川とOOFリベンジ

大田クリエイティブタウン研究会(大田観光協会+首都大学東京×東京大学×横浜国立大学)
で推進している、大田クリエイティブタウン構想の中のプロジェクトの一つ、

「くりらぼ多摩川」

が現在、本格オープンに向けて進行しています。

これは、矢口地区(武蔵新田駅周辺、新田神社の裏)にある工場長屋の一角にあった、
工場跡及び事務所跡を簡易にリノベーションして、「モノづくりのまちづくり」推進の
拠点として活用とする社会実験です。


 
(11/14)現在、準備会を開催して、本格オープンに向けて関係者内で
意見を交わしています。

オープン後は、簡単なモノづくり体験やワークショップなどの体験実施、
展示、シンポジウムなどの発信拠点、
工場見学ツアーの窓口機能、
製品開発に向けての企画実験場、
カフェやBARなどの交流機能などを中心に活用することを検討しています。

先行的に「町工BAR?」していしまいました。



そして、「梅ちゃん先生」の安岡製作所で用いられていた機械の展示についても検討中。



また、台風26号の影響で中止になった、「おおたオープンファクトリー2013」も、
2014年2月15日にリベンジ開催を予定しています。

大田での動き、乞うご期待です。

2013年10月6日日曜日

天空の城(郷) と 犬と鬼

本日は、通常の生活では考えられない、秘境にある現代の暮らしについてです。

一般的には、水が得やすい場所、気候変動を受けにくい場所として、
河岸段丘の上、あるいは、山の麓などに集落が並ぶのが通常です。

 
 

しかしながら、わざわざ山の上や中腹に住んでいる人たちがいます。

「天空の城(郷)」ともいうべき、徳島県三好市祖谷の落合集落。
標高差は390mのところに、約60-70くらいの世帯が貼りついています。
これまでのブログ(『Project List 2013』:http://udynu2012.blogspot.jp/2013_05_01_archive.html
の中の地域マネジメント計画にある、長倉集落も急斜面に張りつく集落ですが、
それよりもとても高低差も世帯数も大きな集落です。


ちなみに、こんな条件の厳しい場所に住み始めたのは、屋島の合戦後の
平家の落人伝説と関連しているといわれています。。。

現在、この落合集落は、伝統的建造物群保存地区に指定されています。
(伝統的建造物はそれなりにあるようですが、
  多くがトタンを被っており、いわゆる茅葺が見えるのはわずかです)。

祖谷地域では、東洋文化研究家、アレックス・カーさんの生活と取組みが有名です。
アレックス・カーさんは、『犬と鬼』(2002、講談社)という、
日本社会への警鐘をやや辛辣な表現で描き出した書籍、そして、
祖谷の暮らしから日本文化への傾倒と警鐘を描き出した、
『美しき日本の残像』(2000)が有名です。
近年では、京町家を宿泊施設とすべく、一日の賃貸借契約による、
「京町家ステイ事業」なども展開されています。

カーさんは、この祖谷に出くわした1971年、この地を正に「桃源郷」だと感じ、
地域を捜し歩いて、空き家となっている茅葺民家を見つけ出し、
所有者と交渉してこれを買い取り、自ら修理改修しながら、
その民家を「篪庵(ちいおり)」と名付け、維持管理を行ってきました。

その後、いよいよ、自らの活躍で、仕事や関係が広がる中で、
自分だけでは維持しきれなくなったのか、関係者と組織をつくり、
現在では、「NPO法人篪庵トラスト」という組織の形で活動されています。
当の茅葺民家(篪庵)は、近年本格的な改修事業が進んでおり、
2012年8月より、簡易宿泊所として活用されています。


 

この篪庵は釣井という集落にあるのですが、同NPOは、さらに、落合集落にある
3棟の茅葺民家の再生活用を事業化し、これもゲストハウス(宿泊所)として活用しています。
食事は出ませんが、自炊か、出前か、地域のお母さんとともに料理をする(料理をしに民家に行く)
などが可能となっているそうです(浮生と晴耕・雨読)。


アレックスカーさんは、縮減時代においては、斜面集落では農との関係も大切ながら、
完全なる再興はできない。
ならば、観光も含めて、このネットワークを全体として維持するしかないのではないかと、
エッセンスを受け継ぎながらの新たな可能性を模索されているようです。
ちなみに、NPOのスタッフの方は、カーさんのテレビをみて、これだ!と思って
参加したとのこと。みなさまも、一念発起してはいかが?

そして、こうした斜面集落は、祖谷だけにとどまりません。


美馬市の「家賀(けか)」という集落も同じように斜面に貼りついています。
ここでは、四国のため池の風景とは異なり、
山の上でも湧水や井戸から水が豊富に手に入るそうで、
そのため、上に行くほど、高い階層の家ということになるようです。


この集落をつぶさに眺めていると、斜面に生きるための様々な工夫が施されています。
石垣は、大きな石と小さな石の組み合わせ、角の反り、基礎のようにおかれる松の木など、
職人の技により、絶妙な力の伝達で、崩落や破壊を防いでいます。
そして、この石垣は、なんと輻射熱によって、作物育成の手助けをしているのだそうです。
 なんというエコ技術ぶり!

農地は、なるべく面積を増やすために斜面のままで畑として使われ、表土が流出しないように、
そして肥料にもなるように、藁が混ぜ込まれます。


さらに、この石垣からの放射熱に用いて、作物の育成が助ける技術も用いているとのこと。

さらにさらにすごいのは、これらの集落からは、等高線に沿ったみちが続いており、
集落同士がネットワーク化され、「そらの郷」同士で生活が組み立てられていることです。

 ***
幸福とは何か、暮らしとは何か、厳しい環境の中でも、知恵と工夫で生活を構築する力、
現代は本当に豊かなのか、現代は本当にお金がなくて暮らせないのか、
こうした暮らしと都市の関係性はどのようにあるべきか、今後の課題です。

2013年9月22日日曜日

おおたオープンファクトリー2013、10/26開催!

大田クリエイティブタウン研究会(大田観光協会+首都大学東京・横浜国立大学・東京大学)では、
これまで、モノづくりのまち、大田の魅力アップにより価値の高い地域となることを目指した様々な
活動をしております。

中でも、2011年12月から開催している、「おおたオープンファクトリー」、
第三回目も行われることになりました。

「おおたオープンファクトリー2013」
2013年10月26日(土)、9時30分~16時30分、武蔵新田・下丸子エリアにて

で開催されます。



今年は、『おおたモノ語り ~職人が1年で1番しゃべる日~』というテーマを掲げて、
普段は工場の中で自らの技術を製品に注いでいる職人さんやエンジニアの方々が
持っている、モノづくりへの想い、技術、たたずまいなどを、この日に感じてもらおうと、
様々な催しが予定されています。

例年通り、今回は、約30の工場が参加し、20近い工場の様子を見学できる
「工場OPEN」が開催されます。当日配布されるタイムテーブルに従って、
時間ごとに空いている工場を自由に訪れ、見学してください。

また、これらをコンパクトに感じられるツアーも用意されています。
多くは、事前予約(近日予約開始予定)と、当日予約のものもあります。
今回は、オープンファクトリーの全貌と裏側をいいとこどりの
「オープンファクトリーって何してるの?ツアー」
クリエイター等を対象として、技術とアイデアを見てゆく「クリエイティブツアー」、
大田・品川まちめぐりガイドの会の方々と巡る「モノづくりのまちめぐりツアー」、
こどもたちの工場探検、「こども向けツアー」、などが予定されています。

さらに今回は、いくつかの拠点でイベントも用意しています。
モノ・ワザ ラウンジ(工和会館、下丸子駅から徒歩5分)という本部拠点では、
「モノ・ワザ トーク」ということで、職人さんたちのお話やいろんなトークが聞けます。

モノづくりのまちの地域や創造活動の拠点として空き町工場を改修して活用する、
10/26に本格OPEN予定の
『くりらぼ多摩川』(クリエイティブタウンラボ多摩川、武蔵新田駅から徒歩5分)では、
「くりらぼワークショップ」ということで、大田の町工場やクリエイターの方々が主催する
ワークショップが予定されています。

その他、例年行っている、大田の町工場の技術で作られた、おもちゃ等の製品が
ガチャガチャの中に入っている、『モノづくりたまご』や、スタンプラリーなども予定されています。

当日は、駅前(東急多摩川線下丸子駅前・武蔵新田駅前)に用意されている
インフォボックスで情報がいくつかGetできる予定です。

詳しくは、今後、ウェブで情報公開、更新の予定です。
近日、諸々の情報が公開されていきます。

http://www.comp.tmu.ac.jp/ssm/mono/openfactory.html

10月26日(土)は、大田へGo!

***
ちなみに、上記の『くりらぼ多摩川』、本格OPENは10月ですが、プレオープンとして、
いくつかの取組をすでに行っています。
現在は、9月1日、7日、21日、28日には、NPO法人大森まちづくりカフェの方々が主催で、
東京工科大学酒百(さかお)先生主催の、『オオタノカケラWS』という取組が行われています。

今回は、大田の町工場で集めた道具を用いたフロッタージュ(紙を上において、色鉛筆で
こすったり塗ったりしてその形をうつしとる)のワークショップが、こどもを中心に
行われています。

 
改修前にプレオープンの『くりらぼ多摩川』
 
ワークショップ開催のカワイイ案内
 
先生自ら、フロッタージュの解説・デモンストレーション 
 
 大田の町工場から集めた魅力ある道具たちの中から選び出します。
 

みんな真剣にうつしとっています。 

出来上がった作品は、こうして壁に貼られていきます。
 
なお、10月5~6日には、これらの各ワークショップでの成果を用いた展示が開催される
予定だそうです。詳しくは、下記で。
 
 
さらに、10月19-20日、おおた産業プラザ(Pio)で開催される、
『おおた商い(AKINAI)・観光展2013』では、酒百先生ほか、海外のアーティストの
シンポジウムも予定されているようです。
 
こちらも是非、お越しください。
 
***

2013年9月15日日曜日

「商店街」という概念を巡って

近年、いや、ここ20年、都市の衰退の代表、再生すべき対象の代表として
論じられるものの一つに、「商店街」という空間があります。
しかし、この「商店街」という存在は、身近すぎるけれどなんともとらえどころのない、
とても不思議な対象でもあります。

現在検討中の石巻のみちのプロジェクト(ブログ内記事、「みちのまちづくり(みちまちPJ)」
参照)、保土ヶ谷のプロジェクト、以前からかかわっている喜多方のふれあい通りも、
いずれも、実際は、いわゆる「商店街」です。

この、「商店街」を巡る論考として、二つの近年の書籍に、

新雅史『商店街はなぜ滅びるのか』(2012年5月、光文社新書)
久繁哲之介『商店街再生の罠』(2013年8月、ちくま新書)

があります。
(特に、後者(久繁さん)は、その前に発表された『地域再生の罠』も記憶に新しいところです。)

「商店街」という中には、単に商店が集積したというだけでない、いろんな要素が見られます。

新さんは、
※商店街というのは、一見伝統的な存在に見えるが、20世紀の社会変動のもとで
 新たに作られたものである。
※日本の近代化に伴う離農層は、企業の雇用のみに流れなかったため、
 その受け止め先として、零細小売商を安定的に収める場として商店街が生み出された
※当時の先端(百貨店の近代的な消費空間性と娯楽性/協同組合の協同主義/公設市場
 における小売りの公共性)を踏まえて生み出された理念である。
※本来は、専門性を有する異業態連携により地域専門店として地域インフラとなるものであった。
 (特に1960年代の振興組合法により組織として加速化する)
※商店街を構成する零細小売業は、近代家族(=本来は「イエ」は、血縁以外も含めた
 緩やかなネットワークを有していたが、近代化を進める段階で、日本型社会福祉では、
 企業と(核)家族を前提としてしまい、近代家族は、サラリーマン+専業主婦をモデルとした)
 を前提としたため、後継ぎ問題を構造的に内包してしまった。
※しかしながら、様々な過剰な保護政策も含めて、既得権益集団化してしまっている。
※地方インフラ整備によるスーパー・SC化、商店街の内的包摂化を導くコンビニによって、
 
 商店街は溶融化している。
(が、著者は、その地域福祉性の観点から、商店街の意義も記している)

久繁さんは、
※商店街衰退の理由としての「大型店に奪われた」は幻想
→商店街支援者(行政)と商店主に意欲と能力が欠ける
→表層の模倣、供給者主義、補助金だのみなどがその背景にある
→再生策は利用者が創る、消費者ニーズにきづき、消費者ニーズに対応する力が必要
→特に、「各商店の自立(工夫)促進」、「地域経済循環率」(地産地消的概念)、
 地域の声に従うこと、起業のハードルを(シェアなどで)下げ、すそ野を広げること

ということなどが提案されています。

一方で、「顧客主義に立てば、「商店街」という存在は、その時、
必要としている人が集積するところに(ある意味)自然と集まったとするならば、
今、必要でないから、集まっていないのだとすると、再生の必要はない」、
あるいは、「商店街は既得権益集団、利益集団化しており、その責任は自ら負うべきだ」
という意見をお持ちの方もいます。
上記もある程度、そうした要素も含んだ言及も見られます。

ただ、いろんなまちづくりをするにあたって、良し悪しに関わらず、主に「みち」などを
介して、個々が組織をつくりながら、共有意識でマネジメントを行うという行為そのものは
貴重であり、(まち、あるいは、商店街という)公共空間マネジメントの可能性は有している
ということは、住宅地のまちづくりよりやりやすさも有していると思います。
また、新さんが指摘するように、交通弱者やフードアクセシビリティなどを踏まえた時に
身近な日常専門店群と交流空間のある場所が、医療介護以外に公共の福祉として
必要だというところもあるでしょう。
特に、地域での生活者でもある商店主の「二重性」が、
地域と経済を調停しているのかもしれません。

その意味では、保土ケ谷区和田町の「和田町タウンマネジメント協議会」は、
商店街・町内会・地域企業・大学などが連携してマネジメントを行っており、
非常に重要なケースであるとも言えるでしょう。

また、一言に「商店街」と言っても、
もともと宿場町だった場所、工場の門前に生まれた場所、
戦後の闇市から拡大した場所などなど、その経緯は様々です。
また、一見さびれているように見えても、実は「プロユース」で成り立っている場所、
シャッター街に見えるが、配達と顧客により店頭売りを必要としていないだけの場所
など、見た目の衰退(地域性)と、各店舗の衰退(個々の商業性)というのは、
必ずしも一致していないこともあります。

こうした、現状を地域資産として、つぶさにみながら、新たな創造的発展を見据えた
取組と担い手の存在を受け入れるための「オープンエンド化」(コアになる理念は
維持しながら、裾野を広げてゆく)ことが重要かもしれません。

2013年9月5日木曜日

開拓グリッドに思いを馳せる

去る2013年8月30日~9月1日まで、日本建築学会北海道大会が札幌にある
北海道大学で開催されました。

「創(つくる)」をテーマにした今大会では、例年同様の多くの発表が行われたほか、
多くの研究懇談会・協議会・パネルディスカッションでは、復興にかかわるものも多く、
都市計画のセッションでは、釜石・石巻の最新情報も提供されました。

学会に関しては、そこそこにして(昨年度のブログ「楽しい学会の見方・調べ方」参照)、
その間に訪れた、いくつかの都市について。

札幌は、いうまでもなく、北海道一の中心都市であり、駅前から大通公園、繁華街すすき野まで、
比較的コンパクトに(と言っても、街区ごとの距離は遠い、60間グリッド)まとまっています。

雪の都市ですから、表もさながら、アトリウムや地下街など、雪や寒さをしのぐエリアも
発達しています。
札幌駅から大通公園まで、中央を結ぶ大通りの下には、500m美術館とも呼ばれる、
各街区の地下沿道に、カフェや展示スペースを設けた地下街に出くわします。
各街区では、この地下道に接続する部分にそれぞれの工夫を施してにぎわいを配置しています。


その一方で、地上でもまちづくり会社が、近年緩和された、占用許可の枠組みを活用して、
仮設店舗が常設的に設置されています。当日は、また他の団体によって、
ホコテン化したイベントもマネジメントされていました。


また、狸小路の先では、ちょっとお店の前に机椅子も出してにぎわいを創出したりも
しています。冬は難しいかもしれませんが、
だからこそ、逆に、少ない夏を楽しむ魅力づくりも大事かもしれません。


「創成」川は、開拓の祖とも呼ばれる大友亀太郎による大友堀を基として、
札幌が北海道開拓の拠点として整備される際に、その南北にまっすぐの堀を中心軸として
整備され、これを基に東西南北の方形60間(108m)グリッドの開拓都市がつくられました。
これに直交する火防線として東西方向に設けられた大通から北が官庁街、
南が繁華街となりました(なので、方形グリッドは、南では二つに割れています)。
その創成川は、片道4車線の道路に囲まれて、アクセスが困難な場所となっていましたが、
近年、半分の2車線ずつをアンダーパスとする事業も行われ、アクセスしやすいような
創成川公園が生まれたとともに、プロジェクションマッピングをはじめ、
いろんな展開が進んでいます。
近年では、この創成川以東を創成川EASTとして、今後何か起きそうな予感だそうです。


方形グリッドがそのままなところ(札幌、新しくつくった幕張【80m四方+18m=98mグリッド】)、
札幌の南や京都(札幌も住所割りなどは京都を参照してますが)、大阪(40間グリッド)の二つ割、
江戸の三つ割(入会地を含めた三枚おろし)グリッドなどには、都市の差はあるかななんて
興味も尽きませんが、北海道開拓都市のそれぞれも興味深いです。

岩見沢では、まちを巡る時間はありませんでしたが、どうもこちらのグリッドは一回り
小さいもののようでした。しかしながら、想像以上に都市の大きさが大きい!
岩見沢駅舎(設計:ワークビジョンズの西村浩さん)は輝いていました。

旭川は、こちらも新しい駅舎(設計:内藤廣さん)ができて、思ったより温かい内部空間も見えつつ、
川辺とまちがつながる軸線、旭川買物公園の現状なども目の当たりにしました。
通りのベンチには、結構座っている地域の方が多かったりしますが、
ちょっとしたコーヒーカフェの手前には、自然と人が寄ってきます。


こちらも大きなグリッドが二枚おろしになってますが、やはり、都市の範囲はとても大きく、
街区の内側は空地化して厳しい状況になっています。


しかし、一方で、周辺に広がる豊かな緑空間、雪国に特徴的なアトリウム的空間、
僅かながら魅力を放つ、路地的繁華街空間、点在するひそかなラーメン店など、
まちを巡りながら、例えば、間の空地を通って、下手すればまっすぐあるけるので、
現在駐車場となっている空間同士をつないで、時に緑も挿入し、時には仮設も用いながら、
新たなネットワークができないかなとか、アトリウム同士も繋いでなんとか新たな
動線ができないかなとか、コンパクトにしながら、何かをかえていく仕組みを妄想して
しまいます。
 
 


開拓を基にしたグリッドの上に、新たな「糸」を挿入する、都市の「糸」が
都市の「系」をつくる、そんなエリアリノベーションができるといいなと思います。

2013年8月12日月曜日

みちのまちづくり(「みちまち」PJ)

久々の更新です。

現在、研究室の有志と、宮城県石巻市のまちなかにある
「市役所大通り」(と言っても、市役所は現在駅近くにあるため、
旧市役所大通りともいうべき)の「まちなみ委員会」のお手伝いをしています。
みちのあり方と沿道のまちなみのあり方を、地域の方々(商店主・地権者等)・
行政・まちづくり会社(まちづくりまんぼう)とともに考える勉強会です。

市役所大通りでは、震災前から都市計画道路としての計画がありましたが、
震災後は、その先にある日和山や公民館への避難の経路、
歩行者の安全な非難、緊急車両の通行などを平時にも
隣接する小学校への歩行安全性などが加味されて、周辺の街区と
併せて土地区画整理事業の中で、道路が改めて拡幅されることになりそうです。

そこでは、まずは、みちのまちづくりの事例紹介をした上で、
まちのコンセプトと通りのあり方をWSで意見しあい、


通りのあり方のアイデアの意見交換をした上で、


検討模型を使いながら、みちと沿道のカタチを話し合いました。


(今後はこれを基に、街並みの作法とソフトのあり方を話し合う予定)。

これまでの都市計画の考え方の中では、モータリゼーションも発達する中で、
道路の公共性というのは、スムーズな交通処理と安全な通行であったかと思います。
従って、その通りが通る地域の地域性よりも、ネットワーク全体の
公共性が優先され、地域の意向よりも上位の意思決定が優先されてきています。

縮減時代においては、この交通量も人口減少に合わせて頭打ちに
有る可能性、そして、そもそも事業を実施してゆく体力低下なども合わさると、
今後、貴重な空間・貴重な事業をどのように活かしきれるかが、都市運営・都市経営
の観点からも重要となってきます。

これまでの経験では、福島県喜多方市のまちづくりでは、
様々な「みち」をきっかけにした街づくりを試みてきました。
都市計画道路の拡幅をせずに、地域資源である蔵も多く残るみちを
街路事業で無電中化+無散水消雪化を図りつつ、沿道ファサード整備を
行いつつ、無電中化に伴うトランス置き場をポケットパークとして整備する
「くらにわ」プロジェクトも進んでいます。


また、幅員が20m広がった沿道を考える「(喜多方)駅前通り」の建築のあり方検討


これまでの都市計画によって広がることが決定した「市役所通り」のあり方
(実現せず)

拡幅事業等は行われないが、魅力的な地域資源が連続するみち(おたづき蔵通り)のあり方検討



また、松山市では、伊予鉄松山市駅と堀之内(旧松山城跡)を結ぶ幅員40m弱の
「花園町通り」の断面構成を再検討しながら、歩いて楽しく、有効に使える
魅力ある都市資源としての外部空間が目標とされる検討をしています。


みちは、通るだけでなく、貴重な「外部空間」であり、
この外部空間をどのように価値づけできるか、地域のモノとできるか、
施設や建築物で価値づけするのが、需要や経済的事情により難しくなる
この時代だからこそ、非常に重要になってきます。

また、今年度は、保土ヶ谷区の旧東海道の道のあり方を考える予定です。