泉区の相鉄文化会館で開催されました。
これは、横浜市の郊外である相鉄いずみ野線沿線エリア(二俣川駅~湘南台駅沿線)を
中心として、これからの郊外地域の新たな都市ビジョンを探るものです。
横浜市では、戦後(特に60年代以降)の急速な都市発展、人口増加の波の中で、
郊外に、半ば計画的に、半ば無秩序に住宅が建設されてきました。
横浜は、空間的にも、手のひらのように尾根と谷が入り組み、襞のように斜面緑地が
取り巻いているわけですが、その多くが住宅地として開発されてきました。
その一方で、市街化調整区域は市域の1/4に及び、中でも市独自の制度として
農業専用地区などを設け、郊外にある自然や産業を価値として維持する計画も用いてきました。
このように、都市の中でも無視できない、郊外エリアにおいても、中には高齢化や空き家化
などの課題を多く抱える地域も現れ始め、
将来的に市の大きな課題になることが懸念されています。
さて、協議会に戻りますが、こちらは、20人くらいの会合かと思いきや、なんと100人超!
市の方々や相鉄の方々をはじめ、連合自治会長さん、大学の先生、企業の方々など、
正に、公×民×学が集まり、縮減時代の新たな都市のあり方を考える連携体としての会議です。
何か話せと言うことだったので、私の方からは、
これからは、いろんな関係がひとつの地域に多層的に重なりあうことが重要
(といってもアレギザンダーも含めて新しい話ではないですが…)ということで、
ある意味似たような郊外である柏の葉(千葉県柏市)と比較しながら、
いずみ野線沿線のお散歩から気づいたことを話しました。
また、横浜国立大学で建築計画(特に住宅や郊外団地等)をご専門とする藤岡先生からは、
戸建ニュータウンでの生い立ちから始まり、お父様がおうちでカフェを始めた話、
そして、「近居」と近しい絆、「住めば都」の可能性についてお話を伺いました。
(2013年6月6日付 神奈川新聞横浜面)
90年代後半と、少し昔になりますが、ドイツの都市計画家であるトーマス・ジーバーツ氏が、
「ツヴァイスンシュタット(間にある都市)」という概念を提唱されました。こちらは、
日本語訳が出ています(トマス・ジーバーツ著、蓑原敬監訳『都市田園計画の展望
「間にある都市」の思想』[学芸出版社、2006年])。
これからの「間にある都市」におけるキーワードとして、
やや抽象的で概念的ですが、
1.多層性(様々な関係性が同時に起こりうる、そしてその関係はオープンエンドである)
2.自律性(自立しつつ、かつ自分で律する)
3.価値の質(量ではなく多元的な質で評価する)
ことが考えうるだろうと思っています。
『明日の田園都市』でE.ハワードは、「都市と農村の結婚」という表現を用いていましたが、
都市のよさと自然を同時に享受できる、間にある都市は、一見、アイデンティティのない
なんでもないところのようですが、いろんな関係性をそこに紡ぐことで、新たな地域像が
生まれる可能性もあります。しかも、それは必ずしも、密度やコミュニティにはよらない、
しかしながら、「つながる」関係を築けるのかもしれません。
また、中心からは同心円状ということは、中心に比べて面積も広いということになる
この「郊外」エリアも、今後様々な関係を構築してゆくと、一様な「郊外」ではくくれなくなる
可能性があります。依然として「中心」との関係性は残り続けるでしょうが、すべての郊外が
一様な中心との関係とはなりえないということです。
しかしながら、高度成長期にあわてて作られた結果、どうしても単一的な(一様な)場所に、
この多層性をどのように持ち込むことができるのか、そこを探っていきたいと思います。
また、空間(不動産、アセット)の評価としても、その単一性の中でのマスマーケットにおける
評価基準が卓越していたこれまでから、多様化するニーズに合わせた、マイクロマーケット
の可能性についても併せて考えたいと思います。
先項で、書籍『現在知』 での郊外に関する論考についてご紹介しました。
中でも面白かったのは、生まれ出ずる小さな活動の可能性、そしてそれが広がって
人を育んだりして、また生まれ出ずる新たな活動の可能性だったように思います。
そして、どうやらその可能性の度合いは、距離や密度には依らない(もしくは単純な減損ではない)
のではないかという仮説です。
現在、私が担当している大学院スタジオ(環境都市デザインスタジオ)でも、
この場所(相鉄いずみ野線沿線)を舞台にして、
これからの郊外生活、空間のあり方を検討しています。
『間にある都市』に、どんなビジョンが描けるか、これから考えてゆきたいと思います。
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