今年度予定のUrban Design Project Listです(全てではない)。
※「大田クリエイティブタウン研究会」(東京都大田区)【2009~】
首都大学東京・東京大学・横浜国立大学・大田観光協会を中心にして、
「モノづくりのまちづくり」に関するプロジェクト活動を進めています。
超高度なモノづくり技術を内包しながらも経済状況により将来像の見えない中、
都市の「価値」をクリエイトする新たなまちのあり方を考えています。
昨年度は、「第2回おおたオープンファクトリー」を実践しました。
http://www.comp.tmu.ac.jp/ssm/mono/openfactory.html
今年度は、第三回おおたオープンファクトリー開催に加えて、
町工場跡を地域のための交流空間に改修する
「くりらぼ(クリエイティブタウンラボ)多摩川」という取組みも開始します。
そのほか、「工場町家」の調査、その他いろんな調査を予定しています。
また、大田区の景観計画策定についても、検討をしています。
※「地域マネジメント計画づくり&実践」(岐阜県高山市)【2008~】
毎年、少しずつテーマや場所は異なりますが、いろんなお手伝いをしています。
H22年度は、荘川町一色惣則地区(荘川式の合掌造りや豊かな水のある農村集落)
H23-24年度は、上宝町長倉地区(「天空の城」ともいうべき斜面にはりつく農村集落)を舞台に、
持続的な地域のあり方を考える、地域マネジメント計画を、地域の方々と考え、昨年度は、
その中でも、地域の方々に人気のあった「うちあかり」という取組の実践に向けて動きました。
今年度は、新たに、数㎞に伸びる集落(丹生川町北方法力)の計画づくりを進める予定です。
※「アーバンデザインセンター松山づくり」(愛媛県松山市)【2011?~】
「あるいて暮らせるまちづくり」を標榜して、コンパクトな都市像を打ち立てる松山市の
まちづくり戦略をお手伝いしています。
昨年は、通りの再生(花園町通り)、モビリティセンターに向けての検討を行いました。
今年度は、松山にアーバンデザインセンターを設けるために検討します。
※「IN BETWEEN PROJECT」(横浜市保土ヶ谷区)【2013~】
横浜国立大学のおひざ元、保土ヶ谷区は、都市でもない郊外でもない、「間にある都市」。
しかし、そんな保土ヶ谷ならでは魅力はここそこに眠っています。
中長期的には、保土ヶ谷区のビジョン策定を見据えつつ、今年度は、旧東海道のにぎわい
づくりを検討します。地域実践教育研究センターとともに進めるプロジェクトです。
また、Y-GSA(藤原スタジオ)、持続型集住論(くぬぎ台団地)などとも連携します。
※岩手県九戸郡洋野町(旧大野村)【2003~】
「芝棟」と呼ばれる草の生えた棟をもつ茅葺民家が70棟近く残る中山間地域です。
2003年から、地域づくり活動のお手伝いをしています。
昨年度は、本学の建築史建築芸術研究室とともに、
壊れてなくなってしまいそうな茅葺を修復するための技術を取り戻すための講習会を実施。
今年度はまだ未定です。。。
※福島県喜多方市【2005~】
磐梯山の奥、飯豊連峰に囲まれた会津盆地にある蔵とラーメンで著名なまち。
こちらも2005年からいろんなまちづくり活動のお手伝いをしてきました。
今年度は、ふれあい通りのファサード整備のお手伝いとくらにわ再編?
「みち」と「まち」の関係について考えてゆきます。
そのほか、岩手県大槌町や宮城県石巻市でも地域支援活動・研究をしています。
また、研究ベースでは、「創造都市研究」「オープンシティ研究」「郊外まちづくり研究」など、
いろいろありますが、それはまた、別の機会に。
2013年5月22日水曜日
2013年5月9日木曜日
まちあるきレポート#01 -阿佐ヶ谷住宅-
今回は、まちあるきレポート第一弾です。
ゴールデンウィークに研究室学部4年生と阿佐ヶ谷住宅付近を散策しました。
阿佐ヶ谷住宅は、日本住宅公団(現都市再生機構:UR)が杉並区に建設した、
350戸の集合住宅です。1958年竣工なので、50年強が経過しています。
3~4層のRCの集合住宅が118戸と、2層のテラスハウスが232戸が、
4つの街区にバランスよく配置されています。
昭和30年代前半の公団住宅の特徴の一つでもあるテラスハウスは、
陸屋根タイプと傾斜屋根タイプの2種があり、設計は、
当時、日本に新しい集合住宅を供給するための情熱がほとばしる、
発足したばかりの日本住宅公団の設計課が行った部分と、
日本の近代建築の巨匠である、前川國男建築設計事務所が担当した(大高正人担当)
コンクリートブロックの傾斜屋根型テラスハウスの174戸とが共存しています。
交通的にも通過交通が入らないように、補助幹線的道路からループ状に引き込まれ、
その骨格となるループ街路(区道)からアクセスするようにされています。
これ以外にはパスとなるような細い街路からしかアクセスできないため、
市街地の中に溶け込み、ランドマークとなる給水塔をめがけて歩きつつ、
まちから突如あらわれる美しい風景に驚くことになります。
といっても、建設される前は、成宗田圃と呼ばれる、善福寺川沿いの田園なので、
市街地があとで取り囲んだといった方がいいかもしれません。
団地と言えば、密度と効率を求めて、南面に平行配置された均一の風景を思い浮かべますが、
この団地では、カーブする街路に沿ってタウンスケープを意識した建物配置がなされています。
こうした街路を含めた全体のデザインは、公団設計課のスタッフであった、津端修一さんの
設計です。津端さんは丹下研に学び、A.レーモンド事務所で修行して、公団に勤めており、
当時の公団の新進気鋭さが浮かび上がります。建築と都市をつなぐデザインを手掛ける
デザイナーが内部にいたわけです。
また、阿佐ヶ谷住宅の魅力の一つは、その豊かな「緑」にあります。
現在は、かなり剪定・伐採された姿であると思いますが、団地建設ともに植えられた木々
達が50年を経て本当に豊かな姿に成長していました。
こうした阿佐ヶ谷住宅は、「分譲」であったことも特徴であり、
多くの権利者によって所有されています。
そんな阿佐ヶ谷住宅も、老朽化が激しく、新たな姿に替わろうとしています。
第一種低層住居専用地域に新たな地区計画が設定され、
新たな姿が生まれようとしています。
新進気鋭の、まちをつくる情熱、空気が受け継がれることを期待したいものです。
ちなみに、上記のテラスハウスは、公団の標準設計として設計されたこともあり、
阿佐ヶ谷住宅のほかにも、いくつかの住宅で標準設計を基にテラスハウスが
供給されたようですが、烏山団地も、そのうちの一つと言われます。
しかしながら、こちらも多くが解体されていました。
そして、阿佐ヶ谷団地に隣接する善福寺川沿いがまたサイコー。
ずーっと川沿いに和多堀公園まで緑の帯が続いてゆきます。
こんな川沿いが横浜にもできるといいな…と思います。
そして、ステキな洋館付住宅もありました。
ゴールデンウィークに研究室学部4年生と阿佐ヶ谷住宅付近を散策しました。
阿佐ヶ谷住宅は、日本住宅公団(現都市再生機構:UR)が杉並区に建設した、
350戸の集合住宅です。1958年竣工なので、50年強が経過しています。
3~4層のRCの集合住宅が118戸と、2層のテラスハウスが232戸が、
4つの街区にバランスよく配置されています。
昭和30年代前半の公団住宅の特徴の一つでもあるテラスハウスは、
陸屋根タイプと傾斜屋根タイプの2種があり、設計は、
当時、日本に新しい集合住宅を供給するための情熱がほとばしる、
発足したばかりの日本住宅公団の設計課が行った部分と、
日本の近代建築の巨匠である、前川國男建築設計事務所が担当した(大高正人担当)
コンクリートブロックの傾斜屋根型テラスハウスの174戸とが共存しています。
交通的にも通過交通が入らないように、補助幹線的道路からループ状に引き込まれ、
その骨格となるループ街路(区道)からアクセスするようにされています。
これ以外にはパスとなるような細い街路からしかアクセスできないため、
市街地の中に溶け込み、ランドマークとなる給水塔をめがけて歩きつつ、
まちから突如あらわれる美しい風景に驚くことになります。
といっても、建設される前は、成宗田圃と呼ばれる、善福寺川沿いの田園なので、
市街地があとで取り囲んだといった方がいいかもしれません。
団地と言えば、密度と効率を求めて、南面に平行配置された均一の風景を思い浮かべますが、
この団地では、カーブする街路に沿ってタウンスケープを意識した建物配置がなされています。
こうした街路を含めた全体のデザインは、公団設計課のスタッフであった、津端修一さんの
設計です。津端さんは丹下研に学び、A.レーモンド事務所で修行して、公団に勤めており、
当時の公団の新進気鋭さが浮かび上がります。建築と都市をつなぐデザインを手掛ける
デザイナーが内部にいたわけです。
また、阿佐ヶ谷住宅の魅力の一つは、その豊かな「緑」にあります。
現在は、かなり剪定・伐採された姿であると思いますが、団地建設ともに植えられた木々
達が50年を経て本当に豊かな姿に成長していました。
こうした阿佐ヶ谷住宅は、「分譲」であったことも特徴であり、
多くの権利者によって所有されています。
そんな阿佐ヶ谷住宅も、老朽化が激しく、新たな姿に替わろうとしています。
第一種低層住居専用地域に新たな地区計画が設定され、
新たな姿が生まれようとしています。
新進気鋭の、まちをつくる情熱、空気が受け継がれることを期待したいものです。
ちなみに、上記のテラスハウスは、公団の標準設計として設計されたこともあり、
阿佐ヶ谷住宅のほかにも、いくつかの住宅で標準設計を基にテラスハウスが
供給されたようですが、烏山団地も、そのうちの一つと言われます。
しかしながら、こちらも多くが解体されていました。
そして、阿佐ヶ谷団地に隣接する善福寺川沿いがまたサイコー。
ずーっと川沿いに和多堀公園まで緑の帯が続いてゆきます。
こんな川沿いが横浜にもできるといいな…と思います。
そして、ステキな洋館付住宅もありました。
2013年5月1日水曜日
「都市を詠む」 -横浜建築都市学S報告-
横浜国大・都市イノベーション学府共通科目「横浜建築都市学S」。
都市や建築・芸術に関わるテーマ型オムニバスプログラムですが、
今年度は「都市の多層性を読む」をテーマに、様々なゲスト講師を
お呼びして、ディスカッション等行います。
第二回の4月30日は、都市史・都市計画史をご専門とされているアーバニスト、
慶應義塾大学環境情報学部(SFC)の中島直人准教授をお招きしました。
中島先生が挙げてくださったテーマは『都市を「詠」む』。
正に単に都市を読む(読解する)だけでなく、
都市をつくる(UrbanDesign)だけでもなく、
まるで詩歌の作品のように、これからの都市の世界観を「詠み」あげる。
そのためには、都市の読解力も必要だし、都市をつくる心も必要だという、
これこそ、都市を詠む(=Urbanism)なのではないかという御提言でもありました。
これは、正に都市計画(史)学的にも、最前線・最先端の到達点ではないかと、
ある種の感動を覚える大変すばらしい御講義でした。
藤沢駅前にある、とあるビルの谷間のような中庭空間が、
時ににぎわいをもたらす市民のへそであることから始まり、
実は、都市計画家(都市プランナー)の権威、石川栄耀氏の広場空間概念との類似性、
そして、都市再開発法が生まれる前の再開発黎明期の日本の都市づくりとの関係、
その再開発が巻き起こるための駅も含めた、
駅前開発・土地区画整理事業・市全体の都市計画・首都圏整備計画との関係と、
紐解けば紐解くほど、都市空間の多層的なスケールの展開が根っこのようにつながってきます。
そして、時間で紐解けば、そもそも、藤沢宿と鵠沼海岸(江の島~別荘地)という二核を
江の島道がつなぐという都市構造と鉄道駅の結節点としての意味などなど・・・。
今度は時間の多層的なスケールが広がります。
これまでの都市計画/都市計画家とは、ある意味で、
詠み人知らせずの美学もあり、どんなプランであったかは議論されても、
誰の(想いや意図でできた)計画かはあまり目を向けられませんでした。
しかしながら、アカウンタビリティやトレーサビリティの重要な現在、
ブラックボックスでつくられる都市の背景を知るためにも、かかわった人たちの意図を
知ることはとても重要なことです。
一方で、建築は、誰の設計・思想でできたものかが、これまでとても重要とされてきました。
しかし、様々な都市の担い手が増える現在、クラウドネットワークで物事が
構築される世の中でもあります。
この二つの大きな潮流をどのように組み上げて新たな都市の担い手がありうべきか、
とても重要なテーマです。
また、これまでの都市史学が、都市の歴史をどう築いてきたかを
過去から現在に向かって見つめてきたとすれば、
タブラ・ラサ(白紙)がない、都市の資産を積み重ねることが必要な今、
現在から過去に遡りながら、今との関係を見つめることが、
逆説的に未来へのベクトルをつくることになる…そんな地域文脈デザインが
技術としても必要とされているのかもしれません。
そして、そのことを、
Urban Design(都市をつくる)からUrbanism(都市を詠む)
と表現いただいたのかもしれません。
私はまだまだ都市を詠みきれません(そして読み切れません)が、
詠みきれないからこそ、発見の喜びもひとしおかもしれません。
都市や建築・芸術に関わるテーマ型オムニバスプログラムですが、
今年度は「都市の多層性を読む」をテーマに、様々なゲスト講師を
お呼びして、ディスカッション等行います。
第二回の4月30日は、都市史・都市計画史をご専門とされているアーバニスト、
慶應義塾大学環境情報学部(SFC)の中島直人准教授をお招きしました。
中島先生が挙げてくださったテーマは『都市を「詠」む』。
正に単に都市を読む(読解する)だけでなく、
都市をつくる(UrbanDesign)だけでもなく、
まるで詩歌の作品のように、これからの都市の世界観を「詠み」あげる。
そのためには、都市の読解力も必要だし、都市をつくる心も必要だという、
これこそ、都市を詠む(=Urbanism)なのではないかという御提言でもありました。
これは、正に都市計画(史)学的にも、最前線・最先端の到達点ではないかと、
ある種の感動を覚える大変すばらしい御講義でした。
藤沢駅前にある、とあるビルの谷間のような中庭空間が、
時ににぎわいをもたらす市民のへそであることから始まり、
実は、都市計画家(都市プランナー)の権威、石川栄耀氏の広場空間概念との類似性、
そして、都市再開発法が生まれる前の再開発黎明期の日本の都市づくりとの関係、
その再開発が巻き起こるための駅も含めた、
駅前開発・土地区画整理事業・市全体の都市計画・首都圏整備計画との関係と、
紐解けば紐解くほど、都市空間の多層的なスケールの展開が根っこのようにつながってきます。
そして、時間で紐解けば、そもそも、藤沢宿と鵠沼海岸(江の島~別荘地)という二核を
江の島道がつなぐという都市構造と鉄道駅の結節点としての意味などなど・・・。
今度は時間の多層的なスケールが広がります。
これまでの都市計画/都市計画家とは、ある意味で、
詠み人知らせずの美学もあり、どんなプランであったかは議論されても、
誰の(想いや意図でできた)計画かはあまり目を向けられませんでした。
しかしながら、アカウンタビリティやトレーサビリティの重要な現在、
ブラックボックスでつくられる都市の背景を知るためにも、かかわった人たちの意図を
知ることはとても重要なことです。
一方で、建築は、誰の設計・思想でできたものかが、これまでとても重要とされてきました。
しかし、様々な都市の担い手が増える現在、クラウドネットワークで物事が
構築される世の中でもあります。
この二つの大きな潮流をどのように組み上げて新たな都市の担い手がありうべきか、
とても重要なテーマです。
また、これまでの都市史学が、都市の歴史をどう築いてきたかを
過去から現在に向かって見つめてきたとすれば、
タブラ・ラサ(白紙)がない、都市の資産を積み重ねることが必要な今、
現在から過去に遡りながら、今との関係を見つめることが、
逆説的に未来へのベクトルをつくることになる…そんな地域文脈デザインが
技術としても必要とされているのかもしれません。
そして、そのことを、
Urban Design(都市をつくる)からUrbanism(都市を詠む)
と表現いただいたのかもしれません。
私はまだまだ都市を詠みきれません(そして読み切れません)が、
詠みきれないからこそ、発見の喜びもひとしおかもしれません。
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