今回は、まちあるきレポート第一弾です。
ゴールデンウィークに研究室学部4年生と阿佐ヶ谷住宅付近を散策しました。
阿佐ヶ谷住宅は、日本住宅公団(現都市再生機構:UR)が杉並区に建設した、
350戸の集合住宅です。1958年竣工なので、50年強が経過しています。
3~4層のRCの集合住宅が118戸と、2層のテラスハウスが232戸が、
4つの街区にバランスよく配置されています。
昭和30年代前半の公団住宅の特徴の一つでもあるテラスハウスは、
陸屋根タイプと傾斜屋根タイプの2種があり、設計は、
当時、日本に新しい集合住宅を供給するための情熱がほとばしる、
発足したばかりの日本住宅公団の設計課が行った部分と、
日本の近代建築の巨匠である、前川國男建築設計事務所が担当した(大高正人担当)
コンクリートブロックの傾斜屋根型テラスハウスの174戸とが共存しています。
交通的にも通過交通が入らないように、補助幹線的道路からループ状に引き込まれ、
その骨格となるループ街路(区道)からアクセスするようにされています。
これ以外にはパスとなるような細い街路からしかアクセスできないため、
市街地の中に溶け込み、ランドマークとなる給水塔をめがけて歩きつつ、
まちから突如あらわれる美しい風景に驚くことになります。
といっても、建設される前は、成宗田圃と呼ばれる、善福寺川沿いの田園なので、
市街地があとで取り囲んだといった方がいいかもしれません。
団地と言えば、密度と効率を求めて、南面に平行配置された均一の風景を思い浮かべますが、
この団地では、カーブする街路に沿ってタウンスケープを意識した建物配置がなされています。
こうした街路を含めた全体のデザインは、公団設計課のスタッフであった、津端修一さんの
設計です。津端さんは丹下研に学び、A.レーモンド事務所で修行して、公団に勤めており、
当時の公団の新進気鋭さが浮かび上がります。建築と都市をつなぐデザインを手掛ける
デザイナーが内部にいたわけです。
また、阿佐ヶ谷住宅の魅力の一つは、その豊かな「緑」にあります。
現在は、かなり剪定・伐採された姿であると思いますが、団地建設ともに植えられた木々
達が50年を経て本当に豊かな姿に成長していました。
こうした阿佐ヶ谷住宅は、「分譲」であったことも特徴であり、
多くの権利者によって所有されています。
そんな阿佐ヶ谷住宅も、老朽化が激しく、新たな姿に替わろうとしています。
第一種低層住居専用地域に新たな地区計画が設定され、
新たな姿が生まれようとしています。
新進気鋭の、まちをつくる情熱、空気が受け継がれることを期待したいものです。
ちなみに、上記のテラスハウスは、公団の標準設計として設計されたこともあり、
阿佐ヶ谷住宅のほかにも、いくつかの住宅で標準設計を基にテラスハウスが
供給されたようですが、烏山団地も、そのうちの一つと言われます。
しかしながら、こちらも多くが解体されていました。
そして、阿佐ヶ谷団地に隣接する善福寺川沿いがまたサイコー。
ずーっと川沿いに和多堀公園まで緑の帯が続いてゆきます。
こんな川沿いが横浜にもできるといいな…と思います。
そして、ステキな洋館付住宅もありました。
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