近年、いや、ここ20年、都市の衰退の代表、再生すべき対象の代表として
論じられるものの一つに、「商店街」という空間があります。
しかし、この「商店街」という存在は、身近すぎるけれどなんともとらえどころのない、
とても不思議な対象でもあります。
現在検討中の石巻のみちのプロジェクト(ブログ内記事、「みちのまちづくり(みちまちPJ)」
参照)、保土ヶ谷のプロジェクト、以前からかかわっている喜多方のふれあい通りも、
いずれも、実際は、いわゆる「商店街」です。
この、「商店街」を巡る論考として、二つの近年の書籍に、
新雅史『商店街はなぜ滅びるのか』(2012年5月、光文社新書)
久繁哲之介『商店街再生の罠』(2013年8月、ちくま新書)
があります。
(特に、後者(久繁さん)は、その前に発表された『地域再生の罠』も記憶に新しいところです。)
「商店街」という中には、単に商店が集積したというだけでない、いろんな要素が見られます。
新さんは、
※商店街というのは、一見伝統的な存在に見えるが、20世紀の社会変動のもとで
新たに作られたものである。
※日本の近代化に伴う離農層は、企業の雇用のみに流れなかったため、
その受け止め先として、零細小売商を安定的に収める場として商店街が生み出された
※当時の先端(百貨店の近代的な消費空間性と娯楽性/協同組合の協同主義/公設市場
における小売りの公共性)を踏まえて生み出された理念である。
※本来は、専門性を有する異業態連携により地域専門店として地域インフラとなるものであった。
(特に1960年代の振興組合法により組織として加速化する)
※商店街を構成する零細小売業は、近代家族(=本来は「イエ」は、血縁以外も含めた
緩やかなネットワークを有していたが、近代化を進める段階で、日本型社会福祉では、
企業と(核)家族を前提としてしまい、近代家族は、サラリーマン+専業主婦をモデルとした)
を前提としたため、後継ぎ問題を構造的に内包してしまった。
※しかしながら、様々な過剰な保護政策も含めて、既得権益集団化してしまっている。
※地方インフラ整備によるスーパー・SC化、商店街の内的包摂化を導くコンビニによって、
商店街は溶融化している。
(が、著者は、その地域福祉性の観点から、商店街の意義も記している)
久繁さんは、
※商店街衰退の理由としての「大型店に奪われた」は幻想
→商店街支援者(行政)と商店主に意欲と能力が欠ける
→表層の模倣、供給者主義、補助金だのみなどがその背景にある
→再生策は利用者が創る、消費者ニーズにきづき、消費者ニーズに対応する力が必要
→特に、「各商店の自立(工夫)促進」、「地域経済循環率」(地産地消的概念)、
地域の声に従うこと、起業のハードルを(シェアなどで)下げ、すそ野を広げること
ということなどが提案されています。
一方で、「顧客主義に立てば、「商店街」という存在は、その時、
必要としている人が集積するところに(ある意味)自然と集まったとするならば、
今、必要でないから、集まっていないのだとすると、再生の必要はない」、
あるいは、「商店街は既得権益集団、利益集団化しており、その責任は自ら負うべきだ」
という意見をお持ちの方もいます。
上記もある程度、そうした要素も含んだ言及も見られます。
ただ、いろんなまちづくりをするにあたって、良し悪しに関わらず、主に「みち」などを
介して、個々が組織をつくりながら、共有意識でマネジメントを行うという行為そのものは
貴重であり、(まち、あるいは、商店街という)公共空間マネジメントの可能性は有している
ということは、住宅地のまちづくりよりやりやすさも有していると思います。
また、新さんが指摘するように、交通弱者やフードアクセシビリティなどを踏まえた時に
身近な日常専門店群と交流空間のある場所が、医療介護以外に公共の福祉として
必要だというところもあるでしょう。
特に、地域での生活者でもある商店主の「二重性」が、
地域と経済を調停しているのかもしれません。
その意味では、保土ケ谷区和田町の「和田町タウンマネジメント協議会」は、
商店街・町内会・地域企業・大学などが連携してマネジメントを行っており、
非常に重要なケースであるとも言えるでしょう。
また、一言に「商店街」と言っても、
もともと宿場町だった場所、工場の門前に生まれた場所、
戦後の闇市から拡大した場所などなど、その経緯は様々です。
また、一見さびれているように見えても、実は「プロユース」で成り立っている場所、
シャッター街に見えるが、配達と顧客により店頭売りを必要としていないだけの場所
など、見た目の衰退(地域性)と、各店舗の衰退(個々の商業性)というのは、
必ずしも一致していないこともあります。
こうした、現状を地域資産として、つぶさにみながら、新たな創造的発展を見据えた
取組と担い手の存在を受け入れるための「オープンエンド化」(コアになる理念は
維持しながら、裾野を広げてゆく)ことが重要かもしれません。
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